目次
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「短歌講座」
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昭和57年10月12日
③B
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大西 『春泥を蹴ちらし駆けてゐる馬の白きたてがみ巨いなる腹』『春泥を蹴ちらし駆けてゐる馬の白きたてがみ巨いなる腹』。北海道にも春が来て、その春の泥をけ散らしながら、馬が走っている。その馬は、白いたてがみを持ち、そして大きなおなかをしている。いかにも、北海道の開拓に従事する農家が使っている馬の、そういう健康な、はつらつとした馬の様子を描いています。こういう歌が『北方論』という時田則雄さんの歌集の歌であるわけですけれども、ここには、そういう北海道の開拓農というような生活の中から、本当に自分の自らの生活を歌っているわけですけれども、ただ、だらだら歌っているわけではなくて、非常に文学的な表現をしているということが分かると思うんですね。
で、私が、この前のときに、道浦母都子さんの学生運動の歌を読みまして、今回は、北海道の開拓農の歌を読んだわけですけれども、それは、ただ漫然と考えて選んだ歌ではございませんでした。というのは、私どもは一人一人、十人十色と言われておりますけれども、一人一人、生活が違うと思うんですね。これほどに際立って学生運動をしたこともないし、それから開拓農をしたこともないと、そういうようなことではなくて、例えば私など、今、年金生活者でございますけれども、年金生活者として人をくくりにされてしまいますけれども、年金生活者にも一人一人、百人寄れば百様の生き方をして働いてきて、年金を受けている人。それから主婦の生活を長年続けてきて、年金を受けている人。さまざまな過去の歴史を背負った年金生活者だと思うんですね。一人一人の生活が違う。だから、歌も一人一人違うはずだと思うわけです。
だから、例えば、モクセイの香りが漂っていると、そういうふうな歌も一つの歌でございますけれども、自分の生活とか歴史とか、そういうものを背後にしょった歌を作っていきたいと思うのです。つまり、自分でなければできない歌。北海道の開拓農をしている人でなければならない、その人でなければならない歌を時田さんが作り、学生運動をかつてして、そして敗北の中で結婚をして、女の青春時代を過ごした道浦さんの歌、それも道浦さんという、そういう生活をした人でなければ、できない歌でございますけれども。一人一人がかのうことならば、なかなか難しゅうございますけれども、かなうことならば、自分らしい歌、自分しかできない歌を作っていきたいと思うわけです。
例えば、私ですと、今、たった1人で暮らして、身寄りがございませんで1人で暮らしておりますけれども、その1人なら1人で身寄りが何にもない、そういう人の歌を、私は作りたいと思っております。誰でも作れる歌ではなくて、身寄りなく、仕方なく1人で暮らしている女の歌、そういうものを作りたい。それから、お孫さんがたくさんいらっしゃる方は、時田さんの歌にもありましたけれども、汗のシャツを枝につって帰ってきたら、2人の子どもがぶらさがったという、いかにもリアルで、面白い歌がございますけれども、そういうふうにお孫さんの歌ならお孫さんの歌を、それぞれ持っているお孫さんっていうのは一人一人違うと思うんですけれども、そういう性格を描き分けながら、自分との関わりで歌っていく。
自分にしかできない、いいにしろ、悪いにしろ自分にしかできない歌というのを、歌っていかないと、自分の足跡というものが、残らないと思うんですね。ただモクセイが香っている。それだけだったら、誰でも歌える。少女時代になったら、もう歌えるような歌。そういうんではなくて、できれば自分の歴史と生涯をしょった歌というようなものを、できれば作っていきたい。その際立った例として、学生運動をした女の人、それから北海道の開拓に挑んでいる男の人。そういう人の特殊な例を読んだわけですけれど、そういうふうに一人一人の生活を丹念に見つめて歌っていくのが、現代の歌であろうなと思うわけです。ただ景色が美しい、花が美しい、秋風が吹いてきた、何かのマイクが通った、そういうことも歌にはなりますけれども、もっと自分を深く見つめた歌というふうなものを作っていきたいと、私自身、思っているわけです。
そんなことから、こういう歌を選んで読んだわけでございます。それをお分かりいただけたら、うれしく思います。
(無音)00:05:36~00:05:50
大西 ちょっと一服してよろしいでしょうか。外へ出たほうがいいですか。いいですか。ほら、嫌煙権とかいうのあるでしょ。
(雑談)00:06:01~00:06:37
大西 その人らしい歌といえば、私はたばこを1日40本も吸いますの。だから、40本吸うなりって、いつか作らなくちゃなあなんて思ってるんです。
A- 吸いすぎですね。
大西 吸いすぎですか。
A- お体、大切にしてください。
大西 減らさないといけないと思うんですけれども、吸わないでいると、かえってストレスが起きるんですね。去年、ヘルニアを手術して、日赤に入院しておりました、2週間。その間、病室に酸素ボンベがあったものですから、「この部屋ではたばこいけません」って言われて、2週間禁煙してたんですね。
それで、手術をして3日4日たったら、頭がぼんやりしてきてね。それで、顔にクモの巣がはるんです。それで、お医者さまが、回診に見えるたびに、「顔にクモの巣がはります」って言うんだけども、お医者さまなかなか分かってくれなくて、「それは麻酔の後遺症でしょう」とおっしゃってね。麻酔の後遺症の怖さをおっしゃるんですね。麻酔の後遺症ってこういうのかなあっと思って、顔にクモの巣がはるのを我慢していたんです。それで、「他にどっこも悪くない」っておっしゃって、退院になったんですけれども、やっぱりまだ顔にクモの巣がかかっているんですね。「そのうちに治るでしょう」なんてお医者さまが言って。
で、帰ってくることになって、私を切ってくださった副院長さんと一緒にエレベーターに乗っておりました。「やっぱりクモの巣が取れません」って言ったら、副院長さんが「エレベーター降りたところで、思い切ってたばこ一服してごらんなさい」って言われたんですね。エレベーター降りてすぐ、たばこを一服しましたらね、その霧がぱあっと晴れた。それで、「わあ、治っちゃった」って言ったんですね。そしたら、副院長さんが「あなたはたばこやめられないね」っておっしゃって。酸素ボンベがあるために2週間禁煙していたこと、かわいそうがってくださいました。そして、「あなたはヘルニアでは死なないけど、脳溢血で死ぬよ」って言われました。それで、「たばこやめないで、多分、脳溢血で死ぬだろう」。ちゃんと予言されました。だから、多分、そうだろうと思うんですけども。クモの巣はったら、とてもたまりませんよね。林の中、行くとき、クモの巣が引っ掛かることってあるでしょう。間違って。あんな感じなんです。顔中、クモの巣がかかって。こうしたいんです。してもしても取れないんです。それが2週間、禁煙してた結果、分かったことで。「禁煙はできないな」って言われて。もう、そういう売約済みなんです、脳溢血で死ぬって。ヘルニアっていうのは、手術して怖かったですけれども、死ぬ病気ではないんですね。太りすぎからヘルニアになるんだそうです。圧迫されてね。ちょっと40本は多いですね、それにしてもね。
(雑談)
大西 では、なるべくは元までは吸わないようにして。本当、中身から言えば、20本くらいじゃないでしょうか。
さて、皆さまの歌ですね。
(雑談)
大西 この前は、奇数の歌を読んでおきましたので、きょうは、偶数の歌を読みます。
2番。『いにしへの手すさび』。手すさび、でしょうね。『手すさび手まりたずねきて伝えし技におどいつ楽し』。手まりの展示会が、向こうの部屋でございましたけれども、その歌でもございましょうか。手まりの展示会を見たときの歌でしょうかね。『いにしへの手すさび手まりたずねきて伝えし技におどいつ楽し』。何のことかな。驚いたという意味かな。驚いたのであれば、『伝えし技を驚きて見つ』とか。『いにしへの手すさび手まりたずねきて伝えし技を驚きて見つ』とか。それから、楽しいことのほうを表すならば、『いにしへの手すさび手まりたずねきて伝えし技を見つつ楽しき』とか。驚いたか、楽しんだか、どちらかに重点を移して、まとめていらしたらいいんじゃないかと思いました。『いにしへの手すさび手まりたずねきて伝えし技を見つつ楽しき』。見つつ、見て楽しい。それから、技を驚きて見つ。驚いたか、楽しいか、どっちかに焦点を絞ってね、そしてお歌いになれば、まとまりやすいでしょう。『いにしへの手すさび手まりたずねきて伝えし技を見つつ楽しき』。または、『伝えし技を驚きて見つ』。どっちかにね、気持ちを分散させないで、まとめて歌えば、それで気持ちが通ると思います。
4番。『孫の忘る風船しぼみ庭の隅せわしきひと日静かに暮るる』『孫の忘る風船しぼみ庭の隅せわしきひと日静かに暮るる』。お孫さんが忘れてしまった風船が、いつの間にかしぼんで、庭の隅に転げている。そうして、忙しかった、せわしかった1日も静かに暮れようとしているという歌で、お孫さんのことを歌った優しい歌なんですけれども、『孫の忘る』では、そこでぽつんと切れてしまうのね。だから、『孫の忘れし』っていうふうに続けて、『孫の忘れし風船しぼみ』。そうしますと、気持ちが通るでしょう。『孫の忘れし風船しぼみ庭の隅せわしきひと日静かに暮るる』。日中は、お孫さんの世話で忙しかったけれども、せわしなかったけれども、夕方になって静かになったという気配が、そのしぼんだ風船に表れているわけですね。
で、『孫の忘る』、きっと忘れしとしたかったけれども、作者は字余りということを、きっと気になさったんだと思いますね。『孫の忘れし』とすると、だいぶ字余りになってしまう。だから、気を付けたんだと思うんですけれども、字余りは恐れないで、使ってくださってよろしいのです。今の歌では、昔の古今集のような頃には、古今集をお手本にしていた江戸時代、それから明治時代の初めの頃までは、非常に字余りということを嫌いました。なるべく五七五七七に収めて、するのがよくて、字余りというのは、歌の病とか傷とか言われておりましたけれども、明治の短歌革新後、明治30年代からこの方は、そんなに字余りを気にしていません。字余りになってもいいから、言いたいことをきちっと、文法的になるべく誤らないで言うと。そのほうが、自分の心を伝えるのに適しているわけですから、自分の歌いたいことを心ゆくまで歌って、しかも文法的に間違いがあまりないように歌うのがようございますね。『孫の忘れし』と、そうしておけばこの歌は通ると思います。
それから、6番。『びっしりと稲の花咲く径を来てつむれども見ゆふるさとの秋』『びっしりと稲の花咲く径を来てつむれども見ゆふるさとの秋』。この、ぎょうにんべんに書いた径という字は、小さい道ということでございますね。だから、みちと読むこともあるし、こみちと読むこともございます。こみちと読ませることも多うございますけれども、ここでは『径(みち)を来て』でもよろしいでしょうね。びっしりと稲の穂が、花をつけている。その小道を歩いてくると、目をつぶっていても、ふるさとの秋の様子が見えるような気がすると歌って、稲の花の咲く頃の、8月の末から9月の初め頃、晩夏、初秋の頃ですね、そういう頃の田んぼの道を歩いていると、『つむれども見ゆ』。目をつむっていても、ふるさとの秋の様子が浮かんでくるという。ふるさとをしのぶ、ふるさとを懐かしむ、望郷と言いますか、そういう歌だと思います。
『びっしりと稲の花咲く径を来てつむれども見ゆふるさとの秋』。見ゆの「ゆ」という字は、自然に見えるという意味ですね、見ゆ。これは、このまま、いい歌だと思います。稲の花がびっしりと咲いているなんていうのは、豊作の気配でございまして、豊作になる、そういう稲がびっしりと花を付けている。そして、そよ風でも吹くと、うまく風媒されて、風媒花ですから、稲が実るわけですね。びっしりと稲の花咲く、この歌はそれでよろしいんですけれども、例えば、そういう稲の花が咲くのを見たら、稲の花は風媒花だなあと思ったら、風媒花ってふうな歌が一つできるかもしれませんね。風媒というようなことは、ロマンチックな言葉でしょう。風によって、花が実を結ぶわけですから。風媒花だなあというようなことを考えると、また別の歌ができるかもしれない。
そういうふうに、一つのイメージから、それに固定して縛られてしまわないで、次から次と連想を膨らませていくというのが、歌を作る道なんですね。稲の花が咲いている、きっと今年は豊作だわとだけ思ってしまわないで、これはどうして実を結ぶかというと、そよ風が吹いて、風媒花なんてね、風によって実を結ぶ。風媒花だなあって。風媒花って、大体、いい言葉でしょ。そういう言葉も生かして、また歌ができるというふうに、イメージを次に運んでいくようにね、一つのことに固定しないで、運んでいくようなイメージを、次から次と膨らませていく。そういう歌い方をしていきますと、次、次と歌ができるんですね。
それから8番。6番はこのままで結構でしょう。それから、『幼子が移し植えくるる鳳仙花秋におう風に花びらこぼす』『幼子が移し植えくるる鳳仙花秋におう風に花びらこぼす』。この移し植えくるるっていうのは、文法的にきちっと歌われていて、くれん、くれたり、くる、くるるときという、植えくるるという言葉の連体形をきちっと歌っていらして、文法的に正しいんですけれども、植えくるるって言うと、たった今、植えていることになるんですね。現在形になる。だから、もし、もう植えてしまってくれたという意味であれば、移し植えくれしになるわけね。たった今、植えているのでなくて、過去であるならば、『移し植えくれし鳳仙花秋におう風に花びらこぼす』。たった今だったら、くるるでいいんですよ。ところが、以前に苗を移し植えてくれて、今、花が咲いているというのであれば、過去であれば、過去にふさわしい表現しなければならないんですね。『移し植えくれし鳳仙花』っていうことになる。
秋になって花が咲いて、そのホウセンカっていうのは、つまぐれとも言う花で、あの赤い花を染めて、昔、子どもが爪を染めて遊んだんですね。つまぐれとか、つまくれないとか言う花ですけれども、あの花を取ってつぶしますと、赤い染料が取れますね。草木染にもよく使いますけれども。ホウセンカ、つまぐれ、つまくれないとも言われる花。美しい花ですね。『幼子が移し植えくれし鳳仙花秋におう風に花びらこぼす』。その幼子の優しい心が、今、花を開かせていて、その花が、花びらをこぼして優しい風情だということを歌っていて、この歌も優しい歌だと思います。もし、移し植えてくれたのが過去であるならば、移し植えくれしと過去の表現をとるということですね。
それから、10番。『両の目を閉ずれば浮かぶ子どもらと銭湯に通いし夕日の陸橋』『両の目を閉ずれば浮かぶ子どもらと銭湯に通いし夕日の陸橋』。この歌もイメージのはっきりとした歌で、さっきも『つむれども見ゆふるさとの秋』という、目をつぶっても見えるという歌がありましたが、10番の歌では、両方の目を閉じて考えると、目に浮かんでくる。昔、銭湯というものがあって、今はあまりございませんけれども、どの家でも銭湯にお風呂に入りに行く時代が、戦前は多うございましたけれども、子どもたちと銭湯に通って、そして夕日に浮かぶような陸橋を渡って帰ってきた。『子どもらと銭湯に通いし夕日の陸橋』。それが、両方の目を閉じると見えるという歌で、大変イメージの鮮やかな歌ですね。夕日の中に黒い鉄橋が浮かんで、その陸橋を子どもと連れ立って銭湯に通った。そういう昔の思い出が懐かしいと歌っているんですけれども、非常にイメージのはっきりした、情景の鮮やかな歌で、よろしいと思います。
この歌で気を付けるところは、『両の目を閉ずれば浮かぶ』と、そこで切れていること。二句切れですね。五七で切れて、『子どもらと銭湯に通いし夕日の陸橋』。こういうふうに二句で切れた歌、二句切れと言いますけれども、二句切れの歌。それから、古今集以降は、三句切れの歌が多ございますけれども、その古今集ぐらいまでは二句切れ、四句切れ多かったんですけれども、新古今集以降になると、平安末期になると三句切れが多くなって、上の句五七五、下の句七七というふうに分かれてくるんですけれども、いろんな切り方が、歌はできるんですね。だから、型にはまって五七五、七七と、上句、下句と分かれなければいけないものではなくて、五七五七七をいろんなふうに切って、自分の気持ちを出すことができる詩形なんです。この歌は、二句切れなわけですね。
『両の目を閉ずれば浮かぶ』、そこで切れて、何が浮かぶかというと、子どもらと銭湯に通った夕日の陸橋が思い浮かぶ。そういうふうに二句で切れている。二句切れの歌です。いろんな切り方を、自在に使っていらっしゃってよろしいのですね。それで、一般的に言うことは、五七五で切って、七七で切れて、上の句と下の句とはっきり分かれて切る方法は、新古今集以来、多い詩形なものですから、形なものですから、理知的な切り方だって、一般的には言われているんですけれども、切り方をあまりこだわらないで、一句で切ってもいいし。あんまりときどき切らないように、ただしね。1カ所か、2カ所で切るぐらいで、自由に歌っていらっしゃってよろしいのです。
これは二句切れの歌っていうことに、ちょっと注目いたしました。『両の目を閉ずれば浮かぶ』、そこで切れて、そして何が浮かぶかっていうと、下の句、三句以下、五七七のところで、情景を歌っているわけですね。そんな切り方もできるということ。
それから、12番。『白寿超ゆ母堂とともの師は八十路山登りに似し日々とのたまふ』『白寿超ゆ母堂とともの』、歸るという字は、お師匠さまの師だそうですね。『師は八十路』。うん、お師匠さまの師という字。『白寿超えし母堂とともの師は八十路山登りに似し日々とのたまふ』。大変長生きをしていらっしゃる方がいらっしゃる。白寿っていうのは、99のことでしょ。99を超えたお母さんと暮らしているお師匠さまは、80を超えていらっしゃるんですね。そういう白寿を超えたような、100歳にもなろうとするようなお母さまと一緒に暮らしている、80以上になったお師匠さま。そのお二人の暮らしというものは、まるで山登りに似たような日々だとのたまふ、おっしゃいましたという意味でしょうね。
分かりやすく直せば、白寿超えしですね。『白寿超えし母堂と暮らす君が八十路』とでもしましょうかね。『白寿超えし母堂と暮らす』、師のままでもいいかな。師の八十路。師は八十路。『白寿超えし母堂と暮らす師は八十路山登りに似し日々とのたまふ』。
あの、白寿は大丈夫ね? 百という字。百から一を引くと、白になって、白寿っていうふうに言うのですよ。それから、80の方は、傘寿って言うんですね。傘という字の八を取って、80歳のことを傘寿のお祝いなんて言いますけれども、そういうふうに昔から言い習わしてきた、長生きの人のお祝いのときに、99歳になると白寿と申しますね。それから、80になると傘寿などと言いますけれども、この場合は、白寿を超えたって言うんですから、もう100にもなろうとする、そういう年取ったお母さんと暮らしているお師匠さんがいる。そのお師匠さんも、もう80以上だ。八十路っていうのは、80から今度は超えた場合ですね。80を超えていらっしゃる。
そういうお師匠さんがいて、そのお年寄り2人の生活。その生活は、山登りに似たような毎日だとおっしゃる。それは、つらい、吐息まじりというか、大変なお暮らしなんですね。100歳のおばあちゃんと、80歳のおばあちゃんが一緒に、2人で住んでいる。それは、毎日が大変だということを、お師匠さんがおっしゃいましたという歌ですね。『白寿超えし母堂と暮らす師は八十路』『白寿超えし母堂と暮らす師は八十路山登りに似し日々とのたまふ』。作者は、そういう100歳にもなろうとするおばあちゃまと暮らしている、80以上にもなった先生、そのお二人の暮らしを聞いて、そしてそれは毎日山登りのようなつらい暮らしなんですよと教わったことに感動して、歌っているんですね。分かりやすくするために、『白寿超えし母堂と暮らす師は八十路山登りに似し日々とのたまふ』とお直しして、そして分かりやすくすればよろしいと思います。さまざまの感動が歌を作らせるわけです。
14番。『やちまたの土ふりしまま道の神花草つかね子らの供へり』。この歌、この前読みましたか。読みましたね。そして、供へりという使い方はいけないので、供へぬとしたんでしたね。このことを、次に詳しく言いましょうとか言いましたかしら、私。言いました? 言いましたかね。
(無音)00:30:50~00:31:04