①B

 
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大西 はっきりとした区別があるわけではありませんけれども、与謝野晶子から、そのお弟子であった北原白秋、北原白秋のお弟子であった私の先生の木俣修、宮柊二というような人たちが、浪漫派の系統をいまだに継いでいるわけですが。宮さんも、木俣先生も、そんなに心情的なことだけを歌っていたんではなくて、やはり、きっかりと風景を写実のように歌った歌だってあるわけだし、そこは混然と一体になるわけですが。そのどちらでもなく、中途な歌い方をしていらっしゃる歌人もいるし、いろいろいらっしゃるわけですけれども。ご自分を考えてみて、一人一人が、私は気持ちをやわらかく歌うのが好きだわという方と、きっかりと風景を写生する、絵を書くように写生することが好きだわという方と、いろいろいらっしゃると思うけれども、自分の心に沿った歌い方をしていらっしゃれば、浪漫派であろうと、中間であろうと、写実派であろうと、よろしいのですけれども。そういう、歌の流れの大きくあるということをね、覚えておかれてください。
 そして、歌の雑誌にどこか入ろうとするときに、その結社というのが、たくさん500もあるわけですけれども。歌をしっかり勉強するときに、どっかの結社の出している雑誌に入って、歌を勉強するようになる。そのときに、写実派的な傾向の雑誌と、浪漫派の傾向の雑誌とあるわけだから、それをよく見極めてね、自分に合った雑誌を選んで入っていかないと。自分は写実が好きなのに、やわらかい叙情の歌ばっかりが重んじられるような結社だったりすると、入っても不幸な目に遭いますからね。もし雑誌に入るときは、そういうことを見極めて、自分の個性に合った雑誌を選んで、入っていかないといけないわけなんですね。
 ここの毎日大会の歌でいうならば、2番目のような歌を好きだなと思う方、写真のように、きっかりと風景を抜き取って描くことが好きだなという方は、どちらかというと、自分が写実派だということになりますね。それから、1番や3番の歌は、自分の感情を主として歌っているわけでしょう。1番の歌の中には、感情を主としながら、『シグナル見えぬまでに降る雪』っていうふうに、きっちりと写生もしていらっしゃる。そういう写生もしながら、自分の追い込まれた状況を、感情を歌っていく。そういう言い方がされているわけですが。どちらかというと中間派という感じかな。そういういろいろな歌い方があるということをね、承知しておかれて、自分の歌を規正して、正していらしたらいいのではないかと思います。
 もう少し読みましょうか。4番の歌。『栗の花径行く人を覆うごと沢に咲きつつ梅雨の雨降る』『栗の花径行く人を覆うごと沢に咲きつつ梅雨の雨降る』。『簡単に死は訪るるものかとも一人の部屋に野の花を生く』『簡単に死は訪るるものかとも一人の部屋に野の花を生く』。『栗の花径行く人を覆うごと』。栗の花を描いているのですが、この径という、ぎょうにんべんに書く径は、小さい道を、小道のときにこの径をよく使います。道路の道というのは、もっと広い道、そして人の道というように、人の生きる方法というようなことも表す道という字、それは広い道のときに多く使うんですが。今では当用漢字が採用されているので、この、直径何センチというときの径という字は、みちとは読まれなくなってしまっているので、その当用漢字によって、あまり、言葉を使い分けて歌いづらくなっているんですけれども。これをみちと読ませようとしても、若い人はけいと読んでしまうでしょう。直径とか、半径とかいうときのけいですからね、みちと読むことは今は教わりませんから。「みち」と、そういうときは、振り仮名をしておけばよろしいのですが。
 栗の花の咲いている小道を歩いて行く人は、まるで覆いかぶさるように咲いている、梅雨の雨の中の、『沢に咲きつつ』、沢っていうのは、たくさんのたくという字ですから、たくさん咲いている。梅雨の雨、その中を歩いていると、栗の花が、道行く人を覆うようにたくさん咲いて、そして梅雨の雨が降っているという歌。栗の花を歌うように、静かに歌っていますけれども、何となく、栗の花の咲く頃の、憂欝な気分というようなものを出している歌かもしれません。『栗の花径行く人を覆うごと沢に咲きつつ梅雨の雨降る』。
 2首目の歌では、『一人の部屋に野の花を生く』と歌っていますが、一緒に住んでいたご主人が亡くなったのかもしれませんね。『簡単に死は訪るるものかとも』思いながら、1人残された部屋に野原の花を生けている、という歌なんですが。そのご主人は、多分あっけなく死んでしまわれたんですね。『簡単に死は訪るるものかとも一人の部屋に野の花を生く』というふうに、心を込めながら、しかも割合に淡々と、寂しいとも悲しいとも言わないで、残された自分の境涯を歌っている歌だと思います。
 5番。『星一つの兵にて果てし君の墓兵長となりて御骨(みほね)帰らず』『星一つの兵にて果てし君の墓兵長となりて御骨帰らず』。『早春の駅に立ちくる残像の征(ゆ)きたる君はいつまでも若し』『早春の駅に立ちくる残像の征きたる君はいつまでも若し』。これは、女の立場から、戦争を思い出して歌っているわけですが。星がたった一つの、二等兵だったのでしょうか、二等兵のままで亡くなったあなたのお墓。でも、亡くなったあと、兵長になった。星が二つになったのかな、三つになったのかな。そして、昇進したけれども、位は上がったけれども、骨は帰ってこなかった。遺骨は帰ってこなかったのよね、と思いながら、遺骨のないお墓に詣でている歌。
 そして、早春の駅にいると、立ちくるは、目に見えるように、目に浮かんでくるというときに、立つという言葉を使うのですが、現れてくるという意味ですが。早春の駅で考えると、あなたは若くして戦争に行ってしまった。その面影が今でも残って、残像のように見えているけれども、自分はもう61にもなって年取ったけれども、あなたは若いまんま、残像になって、私の中に残っていますね。その早春の駅から旅立っていった、出征していった、その懐かしい人を思い出している歌なんですね。『早春の駅に立ちくる残像の征きたる君はいつまでも若し』。3番の歌では、男の人の戦争の思い出でしたが、5番の歌では、それを送る側にあった女の人の歌なんですね。自分の懐かしく思う人は、戦死して、お骨も帰らなかった、そういうむなしい思い出を歌っているわけです。
 6番の歌。『日ごと日ごとむつき換えつつ癒ゆることなき母ゆえに時にむなしも』『日ごと日ごとむつき換えつつ癒ゆることなき母ゆえに時にむなしも』。『寒というに寝たきりの母の体拭きてわれもよわいか汗のしたたる』『寒というに寝たきりの母の体拭きてわれもよわいか汗のしたたる』。この60歳になる田中さんという人は、歌を見ると、お母さん、もう80いくつにもなられたかもしれない、お年寄りを看病しながらいらっしゃるようですね。むつき、おしめですね。日ごと日ごと、おしめを換えてあげながら、もうお母さんは治ることがないんだなと思うと、看病のしがいがないような気がして、時にそれが、空虚に、むなしく感じられると歌っていますね。そして、寒の日も、寝たきりのお母さんの体を拭いてあげる、一生懸命拭いてあげて体を動かしていると、私ももう年なのかな、こんなことぐらいで汗が滴り落ちてつらいな、と言ってるんですね。お年寄りを抱えて、看病に明け暮れている生活も、この頃多うございますので、こういう歌も心が惹かれるわけですね。
 7番の歌。『食品売り場のレジ待つ長き列にいて生きゆくことの不意にむなしき』『食品売り場のレジ待つ長き列にいて生きゆくことの不意にむなしき』。これも、私たちが日常、スーパーなどで経験することなわけですが。食品売り場はことににぎわって、長い列がレジの所にできますが。こうして、毎日毎日同じようなことを繰り返して、一日一日食事に追われて食品を買いにくる。そして長い列でレジを待たされる。そんな列にいたとき、ふっと、生きているっていうことは何なんだろうって、作者は考えたんですね。生きていくっていうことは、食べて寝て終わるのかしら、と思ったりすると、むなしく感じられたという歌ですね。『生きゆくことの不意にむなしき』、そんな感じになりながら、長い列に待たされていた。食事を作ることに追われるのが主婦の生活ですから、こんな思いもしょっちゅう味わうんじゃないか。今、NHKで『幸福戦争』というドラマ、やっていますけれども、あそこの奥さんも、まるで女中さんみたいに、3度3度の食事に追われる生活を、怒っていますね。そういうテレビが今、映っていますけれども。そんなふうに、3度3度の食事に追われる生活を、それだけで終わってしまうのかなと思うと、むなしく感じられたりするのが、女の人の日常なんじゃないでしょうか。
 8番。『雪かきてうずける腰の癒えぬまま昨日に続く雪降りしきる』『雪かきてうずける腰の癒えぬまま昨日に続く雪降りしきる』。九州のマガラさんという、72歳の方の歌ですが、この冬は、九州のほうでも大雪が降ったのでしょう。雪をかいていて、うずくというのは、しくしく痛むことですね、うずいている腰が、なかなか治らない。昨日の雪かきがまだ、腰の痛みに残っているのに、またきょうも雪が降り続いて、また雪かきをしなければならないのかしら、と、残念がっているお年寄りの様子が出ていますね。
 9番。『谷の上の狭き平に着ぶくれし人ら丹念に楮(こうぞ)を選(え)れり』『谷の上の狭き平に着ぶくれし人ら丹念に楮を選れり』。『如月(きさらぎ)の冷たき水に漉きし紙土間に積みあり滴垂りつつ』『如月の冷たき水に漉きし紙土間に積みあり滴垂りつつ』。『庭先に立ちかけし板に乾きつつ漉き紙白し香に立つまでに』『庭先に立ちかけし板に乾きつつ漉き紙白し香に立つまでに』。これは、紙漉きの里を訪れた作者の方のようですが、この歌は、浪漫派と写実派に分けたら、どっちになる? 写実ですね。写実派の歌でしょうね。どこで分かるかというと、2首目の歌などで、それがよく分かると思うんですが。如月の冷たい水に漉いた紙が、土間に積んであって、滴が垂れているというその様子を、しっかりと描写している。写実の歌だということが分かりますね。そうしながらも、庭先に立ちかけてある板に乾いていく漉き紙が、『香に立つまでに』白いっていうところを見ると、ふっと作者の感情が入っているでしょう。香に立つ、においが立ちつほど漉き紙が白々としている。それは、写生をしていると、そこまで感情がこう、いくのでしょうね。そんなことを表している、そういう歌だと思います。
 10番。『新しく買いてきたりし地下足袋につつがなかれと塩かけて履く』『新しく買いてきたりし地下足袋につつがなかれと塩かけて履く』。『地下足袋に敷石踏めば玄関の大きガラス戸左右に開く』『地下足袋に敷石踏めば玄関の大きガラス戸左右に開く』。『地下足袋を履けば心も整いて今朝ゆく背中(せな)に杉苗揺るる』『地下足袋を履けば心も整いて今朝ゆく背中(せな)に杉苗揺るる』。農業をしている人が、地下足袋というものに焦点を当てて歌っていますね。新しい地下足袋を履くとき、どうぞ無事に仕事ができますように、『つつがなかれ』、無事であるようにと、お塩を振りかけておはらいをしてから履くという、そういうつつましいことが、78歳の作者ですから、昔ながらの風習を守って、お塩で清めてから地下足袋を履いているんですね。そして、地下足袋を履いた姿のまま敷石を踏んだら、それは自動ドアだったんですね。そして、踏んだ途端に、玄関の大きなガラス戸が左右に開いたんで、びっくりした感じ。お年寄りだから、自動扉などというのも、昔はなかったものですからね。でも、地下足袋を履くと、心も整って、杉苗をしょっていく今朝の気持ちがしっかりと整ってきた。地下足袋を履くと働く気分になって、心が整ってきた。というような歌が、毎日全国短歌大会の入選した作品の中で、特にいい歌だと思ったものを引いてきたわけですけれども。
 歌というのは、こんなふうに、いろんなことが言えるということをね、よく認識していただきたいと思うんです。写生をしてもいいし、自分の心をそのまま歌ってもいい。7番の歌などを見ると、この人は、毎日毎日同じような繰り返しをして暮らしている主婦の生活に、実際うんざりしているようですね。そういううんざりした気持ちが、『生きゆくことの不意にむなしき』、それが食品売り場のレジの列の中で思っている。そういうふうにして、自分の生き方のむなしさというようなものを、訴えることもできる。歌というのは、いろいろなことが、短いけれどもできるなということをね、こういう歌で知っていただいて、そしてご自分の歌を、じゃあどういうふうに、どんな歌が自分は好きかなということ、こんな歌を見ながらでも考えていくと、一つの目標ができるんじゃないかなと思って、歌を引いてきたわけでございます。
 考えられることは、例えば戦争でね、苦労した男の方は、何十年たっても、その戦争の思い出、悲惨な思い出ってことを忘れられないと思うし。それから、戦争で息子さんを戦死させた人は、その悲しみを拭いきれないまま、多分一生を終わるでしょう。それから、子どもを嬰児のまま死なせた人は、その悲しみのまま、死んだ子どものよわいを数えながら、一生を終わることでしょう。そういう、人間には、それぞれ歌いたいものの原点があると思うんですね。原点がある。私の場合ですと、離婚をした経験があるのですけれども、その悲しみというのは、何年たってもやっぱり忘れがたくてあって、今でも折々に、そういう歌が思い浮かびますし。それぞれ人間には、悲しみの原点というようなものがあって、そこから逃れきれずに、きっと、一生を終わるんだと思うんですけれども。その悲しみや苦しみを糧にして、生きていくほかないわけでございますから。そういうことも折りに触れて歌いながら、自分の歌を深めたり、広げたりしながら、きっと生きていくんだろうと思うんです。これで『秀歌鑑賞』の第1部を終わらせていただきます。ちょっと休憩。
 
A- はい。
 
大西 2日間にわたりますので、きょうは奇数の歌をやっていきますね。それで、この次どうしても来られないという方があれば、その方は偶数の歌も一緒に拝見するということで、そのときにおっしゃってください。でも作者分かってつらいかな。分かってもいいときは、次の歌もしてくださいとおっしゃってください。
 1番の歌。『学もなく師もなく詠みし歌なれば誰に見せまじひとひらの紙』『学もなく師もなく詠みし歌なれば誰に見せまじひとひらの紙』。学問もないし、お師匠さんもなくて詠んだ歌なんだから、誰にもこのひとひらの1枚の紙は見せたくないな、という感じですね。よく気持ちが出ていて、素直に歌っていらっしゃるんですが。見せまじというのはね、まじという助動詞は、見せまじとはつながらないんですね。見すまじになる。まじという言葉は、終止形につながるの。見せず、見せたり、見す、と活用するでしょう。そうすると、見すまじ。そして、誰に見すまじでも、誰にもということなんじゃないかなと思いますね。誰にも見せまじ、誰にも見すまじ。でなければ、誰にも見せじ。見せじ。うん、そのほうがいいかな。誰にも見せじ、「じ」という言葉は未然形につながるから、見せじになるんですね。『誰にも見せじひとひらの紙』。『学もなく師もなく詠みし歌なれば誰にも見せじ』または『誰にも見すまじひとひらの紙』。誰にも見すまじ、誰にも見せじ、どちらかにしますと、文法にかなって、ちゃんとした歌になると思います。謙遜していらっしゃるけれど、ちゃんと歌っていらして、誰にも見せたくない、と思いながらここにお出しになったと。そういうことかもしれませんね。『学もなく師もなく詠みし歌なれば誰にも見せじひとひらの紙』。だれと、普通、口語ではだれと言うんですけれども、文語ですと、たれと澄んで言うほうが、歌の言葉には優しくなりますね。『たれにも見せじひとひらの紙』。1番ね。
 3番。『来年も再び来ようと言う夫(つま)の最後とならん花しばし見つ』『来年も再び来ようと言う夫の最後とならん花しばし見つ』。つまという言葉。夫と、ちゃんと読んでも間違いではないし、ただ夫のことも、昔はつまと、妻も夫もつまと読ませておりました。それから、奥さんのことを、お嫁さんのことを、妹と書いて、いもとも言っておりました。奥さんのことをいも、夫のことをつまと昔は読んでおりましたが、今もその習わしが残っていて、夫をつまと呼ぶ場合が多うございます。与野に住んでいらっしゃる加藤克巳さん、ご存じですね、有名な、立派な先生ですが、加藤さんがこの間、短歌大会のとき、ちょっとおっしゃったんですけれども。なるべく現代の言葉を使って歌うほうがいいなとおっしゃって、夫ならおっとと読んでも通用するように歌うほうがいいな、とおっしゃっておられたことをお伝えしたいと思うんですが。
 『言うつまの』、この場合ですと5音になるから、『言うおっとの』と詠むとちょっと目ざわり、耳障りになるから、『言うつまの』と詠んでおきますけれども。『来年も再び来ようと言う夫の最後とならん花しばし見つ』。作者は、来年はもう来れないということを、どうも知っているようですね。だけれども、ご主人はそのことに触れないで、来年も再び来ようね、また見に来ようねとおっしゃった。その最後の花になるだろうお花を、しばらく眺めておりましたという歌で、思いの深い歌だと思います。もう来年は来れないだろうと作者は思っている。ご主人は大きな病気を持ってらっしゃるのかもしれませんね。だから、作者自身は、来年はもう来れないだろうと思う。夫の最後の花だなと思いながら、どこかのお花を眺めていた。桜の名所のお花でしょうね。単に花といったときは、昔から桜の花を指すんですね。花っていうのは、桜の花が代表的な花として、単に花といった場合は桜になりますね。だからこの歌では、どこか桜の名所へ行ったのではないでしょうか。ここらへんだと、清水公園とか、大宮公園とか、上野の桜とか、いろいろ桜の名所がありますが、そういう所へいらしたのかもしれない。来年もまた来ようというご主人の言葉を聞きながら、多分最後になるだろうと思いながら、しばらく花を眺めておりましたという歌。気持ちを抑えて、悲しみを抑えて、歌っていらっしゃると思います。
 5番。『わが庭の紫の桔梗は吾子のごと白きは逝きし息子と思う』『わが庭の紫の桔梗は吾子のごと白きは逝きし息子と思う』。庭にキキョウの花が咲いた。紫の花と、白いキキョウの花と、両方咲いた。作者は、お嬢さんを亡くされ、息子さんも亡くされている。キキョウの花を見ると、紫のキキョウは娘のようだと思うし、白いキキョウは息子のようだと思う。その身代わりのようなキキョウの花が、優しくて悲しいなと思って眺めている、ということですね。『わが庭の紫の桔梗は吾子のごと白きは逝きし息子と思う』。
 キキョウという花は、秋の七草の中の一つですが。万葉集の頃は、アサガオと呼ばれていました。アサガオというのは、今のアサガオ、朝顔市で売られるアサガオというのは、平安時代に中国から渡ってくるんですね。だから、奈良時代の万葉集の頃は、今のようなアサガオはまだなかったんですね。キキョウのことをアサガオと言っていた。アサガオを何の花にするかというのは、いろいろ学者によって争われていて、多分ヒルガオのことだろうっていう説もありまして。ヒルガオという花は、昔からあったんですね、ヒルガオ。アメフリアサガオという野原に咲く花は昔からあったし。それから、ムクゲの花というのもありまして、ムクゲもアサガオではないかという説もあったんですけれども。ムクゲの花は、ご存じのように、朝咲くと、夕方落ちてしまうでしょう。ところが万葉集の中に、『夕影にこそ咲きまさりけれ』という歌がありましてね。アサガオは、アサガオと呼ばれているけれども、夕方のほうが美しいっていう歌が万葉集にあるの。それで、ムクゲの花がもしアサガオだとすれば、夕方には落ちてしまうんだから、夕方に美しいというのは当たらない。夕方まで美しく咲いてるのは何の花かな、ということを、学者さんたちがいろいろ調べられて、今ではキキョウのことが万葉集のアサガオだろうと言われているんですね。そんなこともちょっと覚えておくと、キキョウを見たとき楽しいですよ。これが万葉集のアサガオだな、と思って眺めるとね。5番の歌も、しみじみとしていますね。紫は女の人らしい感じで、お嬢さんのようなこと。お嬢さんの身代わりのように思うし、白いキキョウはまたりりしく咲いていて、息子さんのようだなと思うという。お嬢さんと息子さんを、ともに若く亡くされた作者の歌であることが知られます。
 7番・・・。