思い起こせば、亡くなる前日まで全国的に知名度の高い歌人としてめざましい活躍を続け生涯を閉じました。
本格的に短歌の勉強をしたいという願いいちずに、昭和二十四年二月、岩手県から大宮市に移り住みました。以来、日常の生活を表現するそのうまさは格別でありましたので、女流歌人として大成された大西民子の短歌を愛好する人々は、今なお市内はもとより全国に多く居ります。
大西民子から資料、遺品、著作権をお引き受けし、大宮市へすべて寄付した者として、大西民子の遺業を忘れることなく後世に残したく思っておりました。
幸いなことに、大宮市ご当局をはじめ市民の皆様からのご理解により、文化の殿堂として市民に親しまれている「大宮市氷川の杜文化館」の庭内に、しかも大宮市制施行六十周年記念の日に大西民子の歌碑を建立し顕彰することができました。
碑歌は、大西民子が歌壇に登場して以来、最もよく知られており、これからも末長く記憶に留めていただける
かたはらに置くまぼろしの椅子ひとつ
あくがれて待つ夜もなし今は
この歌を選びました。
歌の世界を求めて生涯を全うしたこの大宮の地で、大きな足跡を残した歌業をこれからも市民をはじめ、県内外の多くの方々に、この歌碑によって、女流歌人大西民子を思い出していただければ幸いであります。
平成十二年(二〇〇〇年)十一月三日
原山喜亥