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(一四)山名氏清の妻

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 山名氏清の妻は、左近衞中將藤原保修の女である。明德二年氏清の將軍足利義滿に謀叛の際堺に留守したが、【堺に居る氏清の戰歿】既にして敗兵來つて氏清の戰歿を報じた。卽ち其二子時清、滿氏の狀を問ひ脱出したことを聞いて、恥を知らざるを歎き、將に自殺せんとしたが支へられて果さず、【自刄】土丸城に退く途上輿中にあつて刄に伏し、既にして途を轉じて紀州根來に至り其二子謁せんとするも許さず、遂に絶命した。時に明德三年正月四日であつた。其死に莅んで、掌中堅く握つて放さぬものがあつた。人々怪しんで之を披見するに、明德二年十二月二十七日氏清が、八幡から妻に贈つて永訣を告げた消息で、【夫妻の和歌】「取えすは消ぬと思へあつさ弓引て歸らぬ道芝の露」の一首を添え、夫人も「沈むとも同く越む待しはし苦しき海の夢の浮橋」の一首を袖書にしてあつた。見る人袖を濡さぬものはなかつた。【侍女の殉死】侍女三人亦皆入水して之に殉じた。(明德記下)