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第一編 人物誌
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第二章 全盛期(足利時代より豐臣時代迄)
(六七)河田金右衞門
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【堺の人】
河田金右衞門
は熱烈なる日蓮宗の信者であつた。天正元年の交、【丹後布教】一家を擧げて丹後に徙り、同宗弘通の爲めに力を效し、舊眞言宗の一草庵を改め、【
本覺寺
開基】同四年九月現京都府竹野郡網野に寶來山
本覺寺
を創立し、
善性
院日永を請して開山とした。(日蓮宗大觀)同九年九月十八日歿し、法號を山溪院宗澤日傳居士と稱した。妻は元和六年八月十日逝去、法號を寶聚院妙本日覺大姊と稱した。(
本覺寺
囘答書)同寺の歷住中、日因、行謙は、金右衞門の後裔である。(日蓮宗大觀)