澤角(角一に住に作る)撿校は堺の瞽人で、戸田左門一西の臣である。琵琶の名手で、兼て三絃を能くし、之を唄に載せて彈き初めた。【淨瑠璃物語の作譜】嘗てお通の作として傳へらるゝ、矢矧の長者の娘、淨瑠璃姫のことを述作した長生殿十二段(淨瑠璃物語)に譜を附けたのは、此人である。(淨瑠璃大系圖卷一、二)一説に此譜を附けたのは、橋本筑後であるとも、或は岩橋撿校であるとも云はれて居る。又大織冠、八島、高館等の戲曲に譜點を附し、世の認むるところとなつた。(聲曲類纂)【門弟と諸流】澤角の門弟中城秀、加賀市の二人、尤も聞こえ、城秀は八橋撿校となつて八橋流を起こし、加賀市は柳撿校となつて一流を創めた。今に至るまで、三絃家は、澤角を以て斯業の宗として之を尊崇して居る。後世三絃彈を業とするものに、竹澤、鶴澤、野澤などゝ稱するのは、澤角の澤を傳へたものである。(音曲道智編卷之一)