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目次
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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(二五)辻村標編
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【誌境に生る】
辻村標編
は
六左衞門
と稱した。杉原和敕の子で、元祿二年堺に生れた。長ずるに及び、州閭に學び、篤行を以て聞えた。辻村家は當時堺奉行淺野壹岐守長恆の麾下に屬したので、標編正德四年を以て同家に入り、奉行所に出仕し、數職に歷任して心を政治に委ぬること三十餘年に及んだ。寬延二年致仕して、自ら休山と號し、道號を覺了院宗一居士と稱し、杉原正朝の子正邑を養ふて嗣とした。三年秋微疾に罹り、四年閏六月二十三日享年六十三歳を以て卒去した。【墓所】
超善寺
に葬り、法諱を覺了院圓譽休山宗一居士と云ふ。(墓誌)