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(一一八)櫻井甚兵衞

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 【志喜村の人】櫻井甚兵衞は河内國丹北郡(現大阪府南河内郡)志喜村の人、弱冠志を立て、身を緣族に當る大阪淡路町二丁目兩替商加賀屋某に寄せ、精勵業に努むること數年、後自ら分家し、精力絶倫の資を以て終に數萬の富を重ねた。甚兵衞一日堺に來り、歸途大和川橋上に佇立し、西方川尻の洲渚を遠望し、好開拓地たるべきを察し、窃に同志を求めた。【南北兩島新田及び加賀屋新田開發】時に同郡油上村に土橋彌五郞あり甚兵衞因つて之と相謀り、意氣投合し、愈々享保十三年四月協力して埋立を決行して寶曆元年南北兩島新田を墾き、自ら北島新田を得、更らに加賀屋新田をも開發した。寶曆十二年四月二十四日示寂、法號を釋圓信といふ。(三寶村誌)