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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(一四一)篠井碩庵
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【紀州の人】篠井
碩庵
諱は
敬周
、
碩庵
と號した。紀州の人、醫術を以て家業とした。【醫を堺に行ふ】一家を擧げて堺に移住し、名聲嘖々、治を乞ふもの踵を接し、
碩庵
亦患家を訪ふに寧日なく、坊街に嬉戲する嬰兒も狎れ親み、彼の面を觀ると、あれは吾家の醫者だといひ、敢て其名を稱へなかつた。【墓所】明和六年九月十五日享年六十一歳を以て歿し、
發光院
に葬つた。【後繼者】一男あり、名は衡、字を
求馬
と稱し、性頴悟克く箕裘の業を紹いだ。(墓誌)