【堺の醫人】田中芳洲諱は善正、字は子直又子弄叟の別號がある。堺の人、本姓は中島氏、父慈玄の三男である。享保十三年六月生誕、醫師田中仙庵の女婿となつた。芳洲家政を其子忠正に委ね、後園に隱栖を構へたが、忠正早世し、其子猶幼年の爲め、復び家政を執つたが、次いで孫宣正長ずるに及び、再び隱居し、優游自適して老後を樂んだ。【門下生】性溫順能く人を教へ、是を以て堺の儒士、醫生其門から輩出した。著書若干卷あり、俗儒庸醫の針礎となつたが、今散逸に歸した。【墓所】寬政九年二月十三日享年七十歳を以て卒去、金蓮寺先塋の次に葬り、法號を成美齋復圭居士と諡した。(墓誌)