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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(一四七)内藤玄庵
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【備後の醫人】
内藤玄庵
諱は
延秀
、備後國中條の人、安永年間大阪に來り、醫を以て業とし、稻垣、永井の兩侯に仕へた。後京都に上り、七條家の侍醫となつた。【堺に徒る】既にして致仕して堺に來り、柳之町寺町に住し、俵藤太藤原秀鄕の遠裔たるに因み、名を俵藤齋秀里と改めた。【墓所】文化九年四月十二日享年五十八歳を以て歿し、
月藏寺
に葬つた。法號を善厚院正順藤齋居士といふ。(墓誌)