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(一五四)三浦道齋

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 【鎌倉の人】三浦道齋諱は茂樹、復明醫窟の別號がある。相模鎌倉の人、幼にして醫術に志し、江戸に抵つて、内科を田村氏、眼科を鈴木氏に受けた。【經歷】後常、奧二州を遍歷して蘆田氏の遺訣を搜り、文化十四年始めて大阪に移つた。【餘業】性溫厚善く衆を容れ、餘業として國學、韻學、書法等に通じ、各其名を成し、就學の徒少くなかつた。【堺施藥所に講說す】道齋亦傍ら禪を究め、聲名大に揚がり、又官命を奉じて其最も精通せる素問、難經の二書を、堺施藥所に講じ、聽者場に溢れた。【著書】著書に韵學階梯補正字林玉篇標註磨光韻鏡等がある。【墓所】萬延元年六月八日享年八十三歳を以て歿し、大阪谷町八丁目大仙寺に葬つた。(墓誌)