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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(一五七)笠原重次
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【堺の人】【穗積流の眼科醫】
笠原重次
通稱與三郞、宗室と號した。堺の人で、穗積流の眼科を能くするを以て世に聞えた。(寬政重修諸家譜卷第五百八十七)中世の眼科に佐々木、青木、須磨、馬島等の數家あり、穗積も亦其一であつた。(日本醫學史)重次寬永中擢んでられて幕府の醫官となつた。(皇國名醫傳、本朝醫人傳)【子孫】其子新左衞門宗印(
養琢
と號す)宗印の子新兵衞、
重吉
共に其術を以て著はれた。(寬政重修諸家譜卷第五百八十七)