伊藤了慶は仁齋の祖父に當る。【堺に住す】
了慶の祖父を
道慶といひ、堺に居住し、天正四年四月二十八日歿し、法號を了安
道慶禪定門といふ。其子
了雪も亦相續いで、堺に住した。
了雪は外戚長澤道林の子、
了慶を養ふて嗣とした。【攝津の名門】長澤氏は世々攝津の豪族で、尼崎に住した。
了慶諱は長之、字を七郞右衞門と云ひ、永祿四年尼崎に生れたが、
了雪に養はれて、其姓を冒した。【京都に徒る】
了慶攝、泉の兵禍を避け、天正四年十八歳京都に入り、堀川東畔勘解由小路北、卽ち今の東堀川四丁目
古義堂の地に住した。(
伊藤氏系圖)此時所持の大小刀の中、大刀を售り、右代金を以て屋敷を購ふたと傳へられて居る。(伊藤顧也氏談話聞書)元和元年七月二十九日、享年五十五歳を以て歿し、京極信行寺に葬つた。【仁齋】
了慶の子
了室、
了室の子は卽ち鴻儒
伊藤仁齋である。(
伊藤氏系圖)
第五十七圖版 伊藤家系圖