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(一六一)伊藤了慶

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 伊藤了慶は仁齋の祖父に當る。【堺に住す】了慶の祖父を道慶といひ、堺に居住し、天正四年四月二十八日歿し、法號を了安道慶禪定門といふ。其子了雪も亦相續いで、堺に住した。了雪は外戚長澤道林の子、了慶を養ふて嗣とした。【攝津の名門】長澤氏は世々攝津の豪族で、尼崎に住した。了慶諱は長之、字を七郞右衞門と云ひ、永祿四年尼崎に生れたが、了雪に養はれて、其姓を冒した。【京都に徒る】了慶攝、泉の兵禍を避け、天正四年十八歳京都に入り、堀川東畔勘解由小路北、卽ち今の東堀川四丁目古義堂の地に住した。(伊藤氏系圖)此時所持の大小刀の中、大刀を售り、右代金を以て屋敷を購ふたと傳へられて居る。(伊藤顧也氏談話聞書)元和元年七月二十九日、享年五十五歳を以て歿し、京極信行寺に葬つた。【仁齋】了慶の子了室了室の子は卽ち鴻儒伊藤仁齋である。(伊藤氏系圖)

第五十七圖版 伊藤家系圖