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(一七一)三浦安之

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 三浦安之、字は三益、晚年友益と改めた。【伊豫の人】伊豫の人。【堺に教授す】幼にして聰明頴悟、而も蚤く父母を喪ひ、一族の爲めに家を奪はるゝに及び、鄕を出でゝ堺に來り、講學を事とした。時に年十九歳であつた。中ごろ大阪に赴いたが、再び來堺して薰陶に從ふた。安之轗軻不遇にして娶らず、晚に全叟と號し、隱遁自ら樂んだ。【墓所】享保十九年六月享年六十六歳を以て歿し、善教寺の兆域に葬つた。(墓誌)