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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(一八一)梁田邦敬
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梁田邦敬
字は義浩、通稱は八郞左衞門、天柱と號し、方正齋、西園又は花癡の別號がある。(梁田忠山氏囘答書)【萬代文軌の男】儒者萬代文軌の子で、母は上田氏(梁田忠山氏囘答書、老圃歷史)、邦敬夙に古學を學び、(
河野晉
詩文稿
釣餘編
)【梁田氏を嗣ぐ】天明二年入つて梁田蛻嵓の第二子象水の嗣となり、(
河野晉
詩文稿
釣餘編
、梁田忠山氏囘答書)明石藩の文學となり、家聲を墜さなかつた。文政八年四月二十日卒去。【著書】
四書異考
、
井田考
、
天柱詩草
等の著作がある。(梁田忠山氏囘答書)