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(一八一)梁田邦敬

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 梁田邦敬字は義浩、通稱は八郞左衞門、天柱と號し、方正齋、西園又は花癡の別號がある。(梁田忠山氏囘答書)【萬代文軌の男】儒者萬代文軌の子で、母は上田氏(梁田忠山氏囘答書、老圃歷史)、邦敬夙に古學を學び、(河野晉詩文稿釣餘編)【梁田氏を嗣ぐ】天明二年入つて梁田蛻嵓の第二子象水の嗣となり、(河野晉詩文稿釣餘編、梁田忠山氏囘答書)明石藩の文學となり、家聲を墜さなかつた。文政八年四月二十日卒去。【著書】四書異考井田考天柱詩草等の著作がある。(梁田忠山氏囘答書)