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(一九〇)河野通清

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 【堺の人】河野通清は堺の人、始め僧門に入り、名を叡龍と稱した。【音韻學者】深く音韻の學に通じ、多くの文獻を參考して、韻鏡に標註を加へ、享保十一年十一月韻鑑古義標註二卷を上梓した。(韻鑑古義標註序)【著書】又本邦の學者字彙を讀む者、多くは韻法二圖あることを知らず、其音註の他と異なるものがあるとなし、本を知らずして、或は之を怪しみ、或は之に驚いて、遂に以て正しからずとするものがあるを慨して、多年硏覈の結果、衡直の二圖を貫通して、始めて字彙の讀むべきを知り、享保十八年韻圖解卽ち字彙卷末解二卷を著し、以て學者に便した。(字彙卷末衡直韻圖解序幷跋)其他述作の書に、韻學律梁二卷あり、未刊の書には、應師衆經音義韻譜十卷、玉篇指南略釋切韻指南標註經緯玉露二卷、韻鑑佩觹顧氏玉篇韻譜五卷等がある。(字彙卷末衡直韻圖解奧書)

第六十三圖版 韻鏡古義標註