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(一九五)小川正意

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 【堺の曆擧者】小川正意は堺の人。常に我邦の曆家が、一に長慶の宣明曆を墓準とし、根本たる支那に於ても、世々改曆の擧あるに關らず、常に天度と大差ある曆本を使用し、一も改竄の加へられざるを見て之を遺憾としたが、適々郭守敬の授時曆を得て大に啓發せられ、硏鑽大に力め、且別に立成を鈔出して、之を經の後尾に附し、時人の便覽に供せんとし、延寶元年一書を著し、之を新勘授時曆經と名づけた。【邦人曆書上梓の嚆矢】本書は支那曆に基づいたものではあるが、邦人にして曆數を明にし、之を上木したのは、蓋し此書を以て嚆矢とする。(大日本數學史)