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(二三八)水元むめ

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 【藁亭其梁の二女】水元むめは、俳人藁亭其梁の二女である。其梁は松木淡々の高足で、當時俳壇の耆宿であつた。【筒井元興に學ぶ】むめ幼より頴悟、父に隨ふて和歌俳諧を學び、傍ら書道を尚堂筒井元興に受け頗る上達した。【筆蹟を上梓せしむとす】十一歳冬の交、今川庭訓を手習してゐたが、書肆の主人淨書を見て、流麗に感じ、之を梓行せんことを請ふた。然し病臥するに及びて果さなかつた。【臨終】臨終の日の旦、其姪の齡僅に六歳なるが、地上の霜に臥したるを見出し、人々は寒氣にやあたらん、よからぬ戲をすることぞと呵るに、叔母の命に代らんとて、天に祈るのであるといふ。彼女は之を聞き、殊勝の志に感じて、吾は定命なり、其方は行末幸多かれよと、心の名殘を淚に含みながら傍なる紅梅を與へ、父母をはじめ、枕頭の人々を打ち守りつゝ瞑目し、其夜三更の頃に目覺めて、「獨外物無伴、鳴呼、けふをかきりのいのちとも哉」と口吟び、春秋十六歳、遂に黃泉の客となつた。【今川庭訓の出版】此光景を見て父の其梁は悲痛の念に堪へず、吾をいかんよしなき霜の枯かつら」の一句を手向け、其ありし日の筆蹟今川庭訓に、書道の師筒井元興の序文を需め、各地の俳友及び門弟等から贈られた、哀悼の吟詠を卷尾に附し、女今川と題し、刊行して所緣に頒つた。これは明和の頃のことであつたであらう。(女今川)