【堺の人又左衞門の二男】又三郞は堺の人、村山又左衞門の二男で、京都の俳優兼座主であつた又兵衞の弟である。夙に江戸の繁華を聞き、歌舞伎芝居興行に、手腕を振はんとして東下し、【江戸上堺町に常設芝居を興行す】寬永十一年三月上堺町に於て、常設芝居興行を許可せられ、村山座を組織し、同年五月中から、取角力、砂子踊を藝題とし、踊子供五、六人を加へ、初舞臺に立つた。十五年三月又左衞門の五男又八五三郞、弟村山左近太夫等一座に加はり、練衣をゆかたに作つたものを着、頸には染色の手拭樣の長きものをかむり、女形の所作舞を演じて喝釆を博した。又三郞江戸に於て、【村山座主】俳優兼座主たること前後十九年、承應元年三月六日享年四十八歳を以て歿し、【墓所】本所押上の大雲寺に葬つた。法號を昌山壽榮といふ。(東都劇場沿革誌)
【村山座の變遷】其後村山座は又三郞の養子村田九郞左衞門俳優兼座主となつて經營に當つたが、遂に市村宇左衞門に買收せられ、承應元年八月から市村座と改稱した。(東都劇場沿革誌、市村座由緖書、賀久屋壽々免)