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(三〇七)初代 豐竹嶋太夫

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 【戎島に生る】豐竹嶋太夫は堺の戎島に生れ、越前少掾の門に入り、【初代嶋太夫】出生地に因んで嶋太夫と稱した。卽ち嶋太夫の初代である。享保二年正月三日始めて出座し、甲陽軍鑑今樣粧を語つた。これより次第に上達して、好評を得、同十年江戸に下つた。彼地に於ける評判もよく、【江戸に永住す】終に永住することゝなつた。歿年、世壽は明かでない。(淨瑠璃大系圖卷之五)