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(三〇八)三代目 豐竹伊勢太夫

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 【堺の人】豐竹伊勢太夫は堺の人、通稱堺玉、【豐竹麓太夫の門弟】寬政九年五月豐竹麓太夫の門下となり、【初名坂太夫坂太夫と稱した。芝居に出勤して技藝に精勵し、同十一年七月、道頓堀若太夫座で、太功記新物の時、水責の奧と、淀堤のツレを勤めた。【三代伊勢太夫】其後伊勢太夫と改名して、三代目を襲ぎ、座摩社の芝居に、久しく出勤した。(淨瑠璃大系圖卷之五)