ビューア該当ページ
目次
/
第一編 人物誌
/
第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(三〇八)三代目 豐竹伊勢太夫
426 ~ 427 / 897ページ
【堺の人】
豐竹伊勢太夫
は堺の人、通稱
堺玉
、【豐竹麓太夫の門弟】寬政九年五月豐竹麓太夫の門下となり、【初名
坂太夫
】
坂太夫
と稱した。芝居に出勤して技藝に精勵し、同十一年七月、道頓堀若太夫座で、太功記新物の時、水責の奧と、淀堤のツレを勤めた。【三代伊勢太夫】其後伊勢太夫と改名して、三代目を襲ぎ、座摩社の芝居に、久しく出勤した。(淨瑠璃大系圖卷之五)