ビューア該当ページ

(三一四)鶴澤寬三郞

432 ~ 432 / 897ページ
 【堺の人】鶴澤寬三郞は堺の人、【三代八兵衞寬次の門人】三代八兵衞寬次の門弟である、幼より大阪に修業し、文化、文政の交、大に其技を賞讚せられたが、後堺に引退し、【寬治郞に名跡を襲がしむ】養子寬治郞に師跡を襲がしめ、自ら寬好と稱した。八十餘歳を以て大阪堂島に歿した。尤も在堺時代には一時師跡を襲いで、八兵衞と稱したこともあつた。(淨瑠璃大系圖卷之二十)