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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(三一四)鶴澤寬三郞
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【堺の人】
鶴澤寬三郞
は堺の人、【三代八兵衞寬次の門人】三代八兵衞寬次の門弟である、幼より大阪に修業し、文化、文政の交、大に其技を賞讚せられたが、後堺に引退し、【寬治郞に名跡を襲がしむ】養子寬治郞に師跡を襲がしめ、自ら寬好と稱した。八十餘歳を以て大阪堂島に歿した。尤も在堺時代には一時師跡を襲いで、八兵衞と稱したこともあつた。(淨瑠璃大系圖卷之二十)