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(三一七)猪飼某

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 【近江の人】猪飼某は近江の人、嘗て某藩に仕へたが、讒に會ひ、【帷を堺に下す】退いて堺に來り、塾舍を開いた。偶々豪商某圍碁を好み、猪飼亦其家に出入した。【奇禍】一日對局に際し、番頭金五拾兩を紙片に包んで主人に渡したが、競技に熱中して之を置き忘れ、嫌疑を猪飼にかけた。猪飼は詰問のまゝに自ら私せりと告げ、日を經て之を償ひ、一女を伴ひ漂然として去つた。然るに歳末の煤拂に際し、右の金子楣梁の間より出で、猪飼の私せるにあらざるを知つた。其後屋張の商賣來つて猪飼の女は京都島原に遊女となり、猪飼は郡村の茅屋に蟄居せりと告ぐるに及び、之を尋ねて陳謝し、且當年の金子を贈つたが、遂に受けなかつたと傳へられてゐる。(雲萍雜志二)