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(二四)土肥 國

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 【堺に生る】土肥國は父を新兵衞と云ひ、堺に生る。【春日載陽の妻】十六歳大阪の名醫春日載陽に嫁した。婉順にして寡言、而かも柔中剛あり、克く家事に勤めた。婚嫁の際には載陽未だ著はれず、【内助の功】克く内助の功を盡して遂に名醫の譽を揚げしめた。兩親の歿した際には凡手澤の存する限り盡く之を殘して追想の資とした。子なく、守屋氏の出育造を養ひ、薰陶亦尋常人の能く及ぶところではなかつた。明治九年十二月十三日享年五十九歳を以て歿し、【墓所】大阪天滿東寺町龍海寺に葬つた。法號を眞如院實相妙義大姊といふ。(墓誌)