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(六二)五代目 鶴澤寬治

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 【堺の人】鶴澤寬治は堺の人、五代目の寬治である。【三代八兵衞寬治の門弟】三代八兵衞寬治の門弟に當る。堺の寬三郞に子養せられ、寬治郞と稱し、五代目傳吉の門弟となつた。大阪に出でて修業し、出藍の譽れあり、四代目寬治が、伊勢の桑名に在る頃、寬三郞とは同門の交誼があるので、同地に赴き、【五代鶴澤寬治】寬治の名稱を讓受け、寬治は寬翁と改名し、大阪に於て改名を披露した。【文樂座に重太夫を彈く】明治八年一月より松島文樂座へ出勤して、重太夫を彈いた。十四年三月同所に於て妹脊山を勤め、爾來病氣勝で、療養を加へたが、同十七年二月五日歿去した。【門人】門人に鶴澤寬子、鶴澤寬八、寬之助、寬三郞、小寬等がある。(淨瑠璃大系圖卷之二十)