天理教堺中教會は、【位置】向陽町にあり、本部の直轄である。【宣教開始】明治十八、九年の交、當時教祖在世時代より、現天理教本部役員高井猶吉來つて、布教に從事したが、宿屋町西二丁の人平野辰次郞、十九年頃より信者となり、朝日講を組織し、木炭商の傍ら布教に從事したが、後同教の一團體たる神世講と合併し、教會本部の認可を得て、【創立】二十三年五月綾之町に天理教會堺支教會を設け、二十五年二月管轄廳の許可を得て布教を開始した。【沿革】三十四年三月本教會の創立者にして初代會長たる平野辰次郞歸幽し、高井猶吉教會長事務取扱となり、三十七年五月辭任、次いで同月平野好松後任に就職し、漸次教勢を張り、四十一年本教の獨立と共に翌年天理教堺支教會と稱した。四十四年現在の地を相して教會所の新築工事に着手し、十二月竣工した。次いで昭和三年四月天理教堺中教會と改稱し、翌四年增築の功を竣へ、今や教線三府十六縣に亙つてゐる。(天理教堺中教會報告)