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(一三)高須遊廓址

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 【所在】高須遊廓は北旅籠、櫻兩町の東二丁阪堺軌道の兩側の邊にあつた。元來遊廓と宿驛とは不可分の關係があるから、曾て堺北方の宿驛であつた北旅籠町に遊廓を生じたのも自然であり、其起原も亦古いといふべきである。
 元祿八年改堺手鑑には北六間町の傾城町と記し、南高須遊廓に對して北高渚町の遊廓とも稱した。從つて眞の高須遊廓は南高須町卽ち現在の乳守遊廓の事で、其北六間町にある遊廓を高須遊廓と呼ぶに至つたのは次の事情に基くのである。【名稱考】卽ち、遊廓中有名な南高須町を呼ぶに單に高須と呼び、何時しか高須を以て遊廓の代名詞とし、遂に北六間町の遊廓をも高須といふに至り、南北を冠稱して兩者を差別したが、南方は其交涉のある乳守を以て呼ばるゝ事多き爲め、遂に高須の名は北のみになつたのである。【明治以降の荒廢】明治五年遊廓指定地に漏れて以後次第に衰へ、櫻之町の阪堺軌道西側に殘つた置屋も何時しか其跡を失つた。