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石狩湾の海底泥炭

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 昭和四十八年(一九七三)、東海大学札幌校舎の石井次郎教授は海洋実習の際、石狩湾の海底から偶然にも泥炭を採取した。陸上で形成される泥炭が海底から見つかったのであるから大発見である。その後、同氏はその付近の海域でピストン式の柱状採泥器によって、長さ二・四メートルの二本のコア試料を採取することに成功した。
 試料採取地点(図15のSt.3、4)は、石狩川河口より北西に三六キロメートル、水深八三~八五メートルの大陸棚上である。この海域は石狩湾でも大陸棚の幅がもっとも広く、距岸距離五五キロメートル、外縁水深一六五メートルである。

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図-15 石狩湾の海底地形と試料採取地点
(海上保安庁水路部発行 海図NO.6323)

 St.3の試料は大部分が泥炭からなるが、中央部層準に粘土~砂質堆積物がはさまっている。泥炭にはハンノキ属とヤナギ属の材化石が多く含まれ、花粉化石はエゾマツあるいはアカエゾマツがもっとも多く、その他トドマツ、カバノキ属、ハンノキ属、ヤナギ属をわずかに含み、かなり冷涼な気候条件下の亜寒帯林の特徴を示す。草本類はイネ科、ミズバショウ、キク科、シダ類など湿地性のものである。
 海底下六〇センチメートルの泥炭試料の14C年代値は四万年以上前ということである。この泥炭層の花粉化石組成は、あとで述べる古三角州堆積物の八軒ベッドより、下位の花粉組成と類似することから最終氷期初期の堆積物であると推定される。
 St.4の試料は、最上部と最下部が腐植質粘土で、中間部は一部にサンドパイプを含む砂層である。最上部の腐植質粘土層からはカバノキ属の材化石が産出した。また、この層中の最上部、つまり海底直下の泥炭の14C年代は約二万三〇〇〇年前である。そして、花粉化石組成はエゾマツあるいはアカエゾマツ、グイマツ、カバノキ属が多く、同時に、イネ科、カヤツリグサ科、キク科など草原によくみられる草本類がきわめて多量に出現する。このような事実から、St.4の最上部腐植質粘土層は最終氷期の最寒冷期の谷底平野で形成されたものであると考えてよい。

図-16 St.4の柱状土層断面

 St.4の水深は八三メートルである。さらに、図15に示した海底地形図で、谷地形の延長をさぐると、一〇〇メートル等深線の谷地形につきあたる。したがって、当時の海水面は、現在よりほぼ一〇〇メートル低下していたとみても、さほど大きな誤りではなさそうである。