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東部地域の泥炭地

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 札幌市の泥炭地の分布は図4に示すとおりである。前述したように、大谷地から厚別低地、あるいは篠路―拓北などの泥炭は沼を埋積したもので、層厚も五~六メートルと厚い。その他の地域のものは、低湿地を埋めたもので、手稲前田を中心とした西北部の泥炭地を除いては、小規模で層厚もそれほど厚くない。

図-4 札幌市の泥炭地の分布

 大谷地から厚別にかけての泥炭地(*1)は、低位泥炭(*2)および高位泥炭(*4)からなる。前者は原野の周辺部および河川の流域を、後者は主として原野の中央部を形成している。北区篠路町拓北から東区中沼―江別市対雁に広がる泥炭地は、低位・中間(*3)・高位泥炭からなり、高位泥炭が広く分布している。これらの地区の泥炭層の層序は図5に示すとおりである。

図-5 (1)白石―厚別地の泥炭層の柱状図


図-5 (2)篠路地域の泥炭層の柱状図

 また、東米里における泥炭層の花粉化石の研究から、大谷地―厚別泥炭地の形成は約三八〇〇年前からはじまったと考えられている。まず泥炭が堆積する以前の沼の周辺にはハンノキ・ヨシ・ミクリ・ヒメシダが繁茂しており、低位泥炭地が形成されはじめた。約三〇〇〇年前になるとヒメシダやヨシは急減し、ヤチヤナギ・ツツジ類が入りはじめ中間泥炭地化した。その後、約一〇〇〇年前ころからミズゴケ類・ヒカゲノカズラなどが増加して高位泥炭地へと移行した。こうした泥炭地の変遷過程は湖沼型泥炭地の典型的なものである(図6参照)。江別市角山、つまり対雁泥炭地の研究では、この地域における泥炭生成がはじまるころの約五〇〇〇年~四〇〇〇年前ころまでの約一〇〇〇年間は冷涼湿潤気候であったことが明らかにされている。

図-6 泥炭の形成過程


写真-3 ペケレット沼周辺

 *1 泥炭地(でいたんち) 泥炭地はきわめて湿性な環境で、一般にその発展段階により三つに区分されている。
 *2 低位泥炭地 湖沼が土砂で埋積され、浅くなり周辺から植生が侵入した湿地で、地下水位が高く植物養分に富んでいる。構成植物はヨシ・マコモ・ガマ・ハンノキ・ヤチダモ・ヤマドリゼンマイなど。地下水位の低下、または土砂の流入によって泥炭の分解がすすみ、いっそう富栄養化する。前記植物遺体で構成されている泥炭を低位泥炭またはヨシ・ハンノキ泥炭という。
 *3 中間泥炭地 低位泥炭がある程度堆積し、地下水位が低下すると、養分に乏しくなり、ヌマガヤ・ワタスゲなどが繁茂する。この段階が中間泥炭地である。それらの植物遺体からなるものは中間泥炭、あるいはヌマガヤ・ワタスゲ泥炭とよばれる。
 *4 高位泥炭地 中間泥炭地が発展すると中央部はますます地下水位や養分が低下するので、雨水だけで生育し、しかも体内に水を多量にたくわえるミズゴケが繁殖し、微地形的に凸起部を形成する。この段階が高位泥炭地のはじまりである。したがって、高位泥炭地は中央部から周辺にむかって発展していく。ミズゴケ・ホロムイスゲ・ヒメシャクナゲ・ツルコケモモ・ヤチヤナギなどが構成植物である。これらの植物遺体からなる泥炭を高位泥炭あるいはミズゴケ泥炭という。