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道東北部のヌサマイ式土器

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 道東北部では、栗沢式など縄文時代後期末ないし晩期初頭に至る土器のあと、大規模な遺跡が出現しないまま晩期終末をむかえるが、ここに至って、ふたたび中期以来の土着土器の隆盛期をむかえることになる。ヌサマイ式とその流れをくむ緑ヶ岡式土器である。
 ヌサマイ式土器は、釧路市南大通三丁目の幣舞遺跡から出土した土器をもとに設定された。
 幣舞遺跡は、釧路川の河口を見おろす高台にあったため、早くから官庁街として開け、昭和三十七年の釧路市立郷土博物館による部分的な調査が行われただけで、大部分が破壊されて消滅した。昭和四十三年に付近の道路工事中に矢柄研磨器と日ノ浜式の精製壷を伴う晩期の墓壙が発見されたことから、墓地遺跡であったことが想定できる。
 ヌサマイ式土器の特徴は、まず多種の器形で構成されることである。深鉢を主体として、浅鉢、壷形、舟形、片口、皿形の注口、双口土器などがある。特に深鉢の大形品が多いが、実用品とは考えられない小形品もしばしば見られる。底部は丸底や丸底気味の不安定なものが多い。文様は縄文が多用されるが特に深鉢、浅鉢など日常の煮沸用土器に多い。普通は縄文の地文の上に、沈線文、縄線文、撚糸文などが施される。舟形土器は、縄文を地文とし、太めあるいは細めの沈線文を配し全面を真赤にベニガラを塗布したものも多い。
 深鉢や壷形土器の口頸部には、沈線文や撚糸文が段状に施されることが多い。また、胴部まで縦にくねくねと鋸歯状(のこぎりばじょう)に施文された例がしばしば見られ、この型式の特徴の一つとなっている。
 ヌサマイ式には道南部の日ノ浜式の精製朱塗り壷形土器が伴出することがしばしば知られている。幣舞遺跡では完形壷形土器一個と数個体分の破片が出土している。
 ヌサマイ式に伴う石器には、石鏃、石槍、靴形石匙(ナイフ)、搔器、削器、磨製石斧、矢柄研磨器などがある。特徴的な石器としては、黒曜石や玉隋などから作った靴形石器がある。エスキモーが近年まで陸獣や海獣の解体処理に使用した石器に類似し、千島列島、アリューシャン、カムチャツカ方面の遺跡からも出土するところから、この方面から道東北部に伝播してきたものと考えられる。また、釧路市貝塚町一丁目の晩期の土壙墓から、被葬者の頭蓋骨下数センチメートルのベンガラ中よりソラ豆大の鉄片が出土している。
 このことから、道東部の縄文時代晩期には、すでに金属器の使用される時代に入っていたことを示している。