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住居跡と信仰

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 オホーツク文化の住居跡は、平面が五角形ないし六角形の大型住居で、長軸が一〇メートルをこえるような大型のものもある(写真23)。床の中央には石組の炉がつくられ、その周囲はコの字形の粘土の貼床になっている。家の内壁沿いには、人々が寝起きし、家財道具を置いたりするためのやや高いベンチ状の台があったようである。出入口は明確でないが、天井の中央部から梯子(はしご)を使用して出入りした可能性もある。

写真-23 オホーツク文化の住居跡(網走市二ツ岩遺跡)

 住居の一番奥まったところに、ヒグマの頭骨やシカ、アザラシ、トドなどの動物の骨を積み上げて祭壇を作っている。クマの頭骨だけが一〇個以上も安置された例がある。これは単に骨を置いたのではなく、オホーツク人の信仰、儀礼を表現したものにほかならない。
 トコロチャシ一号外側竪穴では、アシカ、イルカ、クジラ、アザラシの骨が集積されており海獣猟がさかんだったことがうかがわれる。クジラやイルカなどを骨角器に浮彫りしたり、線刻したり、またクジラを銛で射ているモチーフもある。オホーツク文化が海に適応した文化だったことがよくわかる。
 さて、オホーツク文化を担った人たちは、どのような民族であっただろうか。人骨の形質からみて、アリュート・エスキモー類似説なども出されたが、山口敏によれば、黒竜江下流域にすむツングース系の漁撈民「ウルチ」に近いという。
 いずれにせよ、オホーツク人は、擦文人と棲みわけて住んでおり、一三世紀を前後するころ、擦文文化のなかに吸収されてしまう。