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後半期の文化

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 後半期は、さらに前期と後期に分かれるが、この時期の特徴は細石刃を明確に伴ってくることである。前期は、比較的純粋な形で個々の細石刃技術が存在する時期で、細石刃核の作出技法で分けると峠下技法(とうげしたぎほう)を有するグループと湧別技法を有するグループの二種のものがある。なお、今金町美利河一遺跡(ぴりかいちいせき)では、湧別技法類似の美利河技法によって作出された細石刃核の包含層の下から峠下技法による細石刃核が検出されており、峠下技法の初源はより古い段階に求められる可能性もある。
 後期は、南と北からの影響力が種々流入した時期で、その内容も多様性をおび、内部の細かい序列については現状ではあまり明確とはいえない。荒屋型彫刻刀、オショロッコ型細石刃核、有舌尖頭器、片刃石斧をほぼ共通して含み、それに蘭越型およびその変形の峠下的な細石刃核と特殊な角形彫刻刀なども幾つかの遺跡で伴っている。なお、多面体型彫刻刀(細石刃核であるという意見もある)を特徴的に伴うグループ、大型尖頭器を伴うグループ、円錐形細石刃核を伴うグループも、この段階に各々起源を異にして流入した文化であったと考えられる。
 ところで、美利河一遺跡、湯の里四遺跡では、蘭越型細石刃核にともなって石製の玉がみつかっている。特に、湯の里四遺跡からは赤色顔料が散布された土壙の中から玉とともに琥珀製の垂飾もみつかり、壙内の土壌の残存脂肪酸分析の結果高等動物に特徴的な脂肪酸とステロールが検出され、出土遺物も考慮するとこの土壙は「墓」の可能性が高いといわれている。