昭和六十二年の月寒東三条一一丁目側の発掘調査において、石刃を素材にした石器が二点みつかっている。この内、5は黒色土層下の黄褐色粘質土層中から出土した削器で、やや幅広の石刃を用い表面側の全側縁と裏面の上端付近に調整剝離がある。下半部の調整は直角に近く、縁部も磨滅し、心持ち幅が狭くなっているところから、この部分は柄部と考えられる。6は、黒色土層中からみつかったものであるが、真正の石刃を用いパテナが非常に古い資料で、表面の両側縁に平坦な剝離調整がある。なお、上部は欠損するが、表面左上部縁から裏面右上にかけて、バルブ側から入っている狭長な剝離は彫刻刀面である可能性もある。
これらの六点の資料の内、1については素材を両面体石器とし打面形成にあたって長軸に沿って剝片ないし削片を大きく剝ぎとるものは、湧別技法およびそれに関連した技法しかない。同種の例は数は少ないが、山形県角二山遺跡(かくにやまいせき)の中に一点ある。2の錐については、石刃の端部に一カ所尖頭部を作出した例は数多くあるが、複数例認められるのは初見である。3の彫刻刀の類例は、北見市中本遺跡、同市増田遺跡D地点、遠軽町タチカルシュナイ第V遺跡などにあり、これらの遺跡からはホロカ型彫刻刀が出土している。したがって、本種の彫刻刀はホロカ型彫刻刀と関連した資料と考えられる。4の石槍は、その諸特徴から考えて、後期旧石器時代末葉の「立川ポイント」、いわゆる有舌(有茎)尖頭器の可能性が極めて高いと判断される。5の削器については、角二山遺跡の資料中に同種のものがある。6は、彫刻刀とすれば、オショロッコ型細石刃核に共伴するタイプと考えられる。