S二五六遺跡は、三軒の竪穴住居跡により構成される集落跡ということができる。
微隆起線文を特徴とする土器群を伴う集落跡は、千歳市美沢一・二遺跡、函館市中野A遺跡において発掘調査されている。
千歳市美沢二遺跡では、美沢川に面する標高六メートル程の低位段丘上に三七軒の竪穴住居跡が発見されている。この内三三軒が確実に微隆起線文土器「コッタロ式土器・中茶路式土器」を伴い、二五軒が「コッタロ式土器」の竪穴住居跡であるという。ほとんどの住居跡は、隅丸長方形のプランを呈し、規模は最大の物が径九メートル、最小二メートル程であり、五~六メートルの規模のものが主体をなす。これらの竪穴住居跡群は、美沢川に沿った標高のラインごとに四グループに分類され、一時期四~五軒単位の集落が営まれたのではないかと推定されている。
S二五六遺跡の場合、一時期の所産と考えても美沢二遺跡の集落跡に比較して規模が小さいことが指摘される。これは遺跡の立地及び背景(自然環境)の差であろうか。
縄文時代前期の住居跡は札幌市内では発見されていないが、豊平区平岸坊主山(T三一〇遺跡)にて、縄文尖底土器を伴出した長径二・一メートル、短径一・二メートルの隅丸長方形プランの浅い掘り込みが一個、発掘調査によって確認されている。また、円筒下層式土器の最末期に属するであろう土器を伴出した長径六メートル、短径四・一メートルの楕円形プランの竪穴住居跡が一軒調査されている。
図-3 縄文前期の竪穴住居跡及び出土した縄文尖底土器(T310遺跡)
縄文尖底土器の集落は、千歳市美々五遺跡において五〇軒程の竪穴住居跡が発掘調査されている。美々川に面した急斜面に立地しているが、いずれも長径六メートル、短径四メートル程の隅丸長方形プランを呈している。T三一〇遺跡において発見された小型の浅い掘り込み遺構は、美々五遺跡の竪穴住居跡中最小の竪穴住居跡と共通性のあるものであり、竪穴住居跡と断定してさしつかえないものである。また、円筒下層式土器を伴う竪穴住居跡は道南各地に発見されているが、円形、楕円形プランを呈し、径一〇メートルと大規模なもので深く、炉がきちんと床面の中央に設置されているようである。
T三一〇遺跡において発見された住居跡はこれらに比較すると浅く、小型であり炉もなく床面に焼土の集積があるのみで、はたして縄文時代前期円筒下層式土器の竪穴住居跡と断定されるか、近隣に類例がないためむずかしい状況である。