大谷地神社の後方の南向きの丘陵上にあり、現在は高速道路になっている。調査では、縄文中期の竪穴住居跡三軒、同晩期末と考えられる土壙二個、時期不明の溝状遺構六〇個と縄文早・中・晩期の土器・石器などが多量にみつかっている。竪穴住居跡の時期は、三例とも縄文中期中葉のトコロ第六類期のものである。石器は、いずれも石銛、搔器、ナイフ状石器、石斧、砥石などが比較的多く出土し、また第一、二号竪穴住居跡からはメノウないし頁岩製の調整がほとんどない小型の石錐が総数五〇点みつかっている。六〇個みつかった溝状遺構は、形態的には長楕円形の例とやや寸の短い楕円形の例とがある。その分布は沢沿いに並列する例とそれに直交する例とがある。