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住居跡と集落

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 中期の文化と後期の文化の差については、住居跡と集落の面にも大きくあらわれている。市内での発見例は、T三六一遺跡一例しかないために、市内の例をもってのみ、その差について説明することが困難である。
 T三六一遺跡からただ一軒発見されている竪穴住居跡は、畑の耕作により一部を失っているが、一辺が約三メートルの四隅がやや丸くなる方形である。床面には、四本の小さな柱穴が見られるのみで、炉は発見されていない。竪穴の深さは、耕作のため不明であるが、現存部で約二〇センチメートルである(図14)。

図-14 縄文後期の竪穴住居跡(T361遺跡)

 千歳市で発掘された後期の竪穴住居跡例も、小型で円形または不整円形であることから、T三六一遺跡発見の竪穴住居跡が特異な例ではなく、きわめて一般的なものであるといえよう。
 中期の竪穴住居跡が比較的大型で、五角形、楕円形で屋内に石囲炉を設け、大きな柱穴を有する定形的な形態を呈しているのに対し、後期では一軒の竪穴住居跡の面積が、二〇平方メートル前後の例が圧倒的となり、五〇平方メートル以上の大型の竪穴住居跡が見られなくなる。
 住居の小型化に伴い、主柱穴を欠く例が多くなり、石囲いなどの施設を作らない炉(地床炉)となり、屋内に炉を設けないものも増加する。竪穴住居跡内から発見される土器、石器などもきわめて少なくなる。