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後期の墓

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 中期と後期における社会的な大きな変容は、墓にも顕著に現われている。
 旧石器時代終末から縄文時代中期まで伝統的に見られた、単に地面に穴を掘り遺体を埋葬する土壙墓から、環状列石(ストーンサークル)、周堤墓(環状土籬、円形竪穴墓、区画墓)と呼ばれる集団墓や、土壙墓の上部に石を積む、積石墓といわれる墓が出現する。
 S二二九遺跡では、四個の円形の土壙墓が発見された。三個がやや近接しまとまりを見せ、約八メートルはなれて他の一個が存在する。集中している三個のうち二個は、やや大型で直径一・二メートルから一・四メートル、深さ六〇センチメートル程である。他の二個は、直径約七〇センチメートル、深さ二〇~三〇センチメートルと小型である。一号墓とした大型の墓壙の周囲からは、復元可能な深鉢形土器二個体が出土し(図15-1)、他の墓からは、石鏃、石器、土器片が出土している。三個の墓壙が集中している付近から焼土が一カ所発見され、二号墓とした墓壙の覆土中にも焼土が存在した。

図-15 縄文後期の墓(1:S229遺跡,2:T361遺跡)

 T四六八遺跡からは、二個の円形の土壙墓が発見されている。一個は、直径一・三五メートル、深さ八〇センチメートルで大型の土器片数点が出土し、覆土上面には焼土が見られた。他の一個は、直径約一・四メートル、深さ五五センチメートルであり、出土遺物はまったく発見されなかった。墓壙の周囲からは、二カ所の焼土が発見されている。
 T三六一遺跡では、三〇個の墓壙、一七カ所の焼土および竪穴住居跡一軒が発見された。そのうち遺跡の北側から発見された中葉の墓一〇個のうち、五個から土器が出土し、南側から発見された一〇個は後葉の墓壙である。墓壙の形は、円形あるいは楕円形であり、大きなものは長径約一・七メートル、小さなものは長径約七五センチメートルである。中葉の墓は七個の墓壙が一カ所に集中し、三個がこれより離れた場所に存在する。
 副葬品はきわめて少なく、第一号墓から小形の半完形土器二個と土器片、第二号墓から大形の完形深鉢土器一個(図15-2)、第三号墓から小形土器一個、第九号墓から大型深鉢形土器一個が出土している。いずれも墓壙の覆土中からの発見であり、埋葬が終了した後に、墓にそなえたとも考えられる。その際には、土器の中に供物用の食料などを入れたとも、また、他の遺跡では、意識的に破壊された痕跡があることから、葬送儀礼に使用した容器を終了後に破壊して墓前に添えたとも考えられている。
 墓壙の周囲から発見される焼土は、埋葬が夜に行われたか、野辺の送りなどの儀礼が行われていたことを物語っている。T三六一遺跡で発見された竪穴住居跡は、埋葬時の野辺送り、もがり、埋葬遺体が動物に荒されないための番小屋的なものなどの特殊な用途も考えられる。