現在市内の低地部から発見される唯一の縄文時代の遺跡である。概報によれば、第一層耕作土二〇~三〇センチメートル、第二層火山灰質砂層三~五センチメートル、第三層多少腐植を含む灰褐色粘土約五センチメートル、第四層灰褐色粘土約五〇センチメートルである。
遺物は、第三層から第四層の上半部にかけて包含されている。遺跡の形成中か、その後に被水しており、当初からこの地で営まれた遺跡か、洪水などにより流入したものであるか明確にされていない。もし遺跡が当初からこの地に営まれていたとするなら、低地部の地形形成と人の居住に関し、重要な問題を提起することとなる。土器・石器のみが出土し住居跡、墓壙などの遺構は、まったく発見されていない。