恵山式土器文化及び後北式土器文化の初期の竪穴住居跡は、円形プランで床面中央に石囲い炉、もしくは地床炉が設置され、床面が段になるベンチ構造を有したものも比較的多くみられる。特徴的なことは、出入口と考えられる舌状の張り出し部を持つことである。
円形プランは、東北地方、道南部の縄文時代晩期の竪穴住居跡の構造からの系譜をたどることが可能であり、縄文時代晩期末葉の木古内町札苅遺跡では、径五・五メートルの円形プランの床面中央に石囲い炉を持つ竪穴住居跡が検出されている。
恵山式土器の最古の土器に並行すると考えられている、青森県北部の最古の弥生式土器である「二枚橋式土器」を多量に出土した瀬野遺跡では、径九・七メートルの円形プランで床面中央部に地床炉のある竪穴住居跡が一軒検出されている。出入口と考えられる舌状の張り出し部は、道東北部の縄文時代晩期の竪穴住居跡にあり、その地域では続縄文時代になり一般化する。恵山式土器、初期の後北式土器の竪穴住居跡にみられる舌状張り出し部は、道東北部の竪穴住居跡の構造の系譜を引いたものである。恵山期の代表的な遺跡である瀬棚南川遺跡では、かなり大規模な集落が営まれており、一三軒におよぶ竪穴住居跡が検出されている。