現在の麻生球場内にあった遺跡で、かつては旧琴似川が球場の南から東、北側を取り囲むように蛇行し、その後北東に流れ、それに沿って竪穴住居跡群が分布していたものである。本遺跡からは、約一〇軒の竪穴住居跡がみつかっている。これらの住居跡のかまどの方位は、北ないし南にあるもの各二例、北東から東にあるもの五例、南西のもの一例である。この内、北向きのかまどがある第一号(図2)、第二号例は口縁部に横走沈線文がある大型の甕と横走と鋸歯状の沈線文がある中~小型の甕、須恵器(すえき)の長頸壼ないし大甕、土製支脚等が出土したもので、時期は擦文前期に相当する。南向きのかまどがある例の内、第六号からは横走と鋸歯状の沈線文がついた中型甕と坏が出土し、擦文中期前半の例と考えられる。
図-2 K446遺跡の住居跡と出土遺物