遺跡の北東側を流れていた旧琴似川から約五〇~七〇メートルのやや近接したところから、擦文中期~後期の土器群などとともに小さな沢を取り囲むような形で竪穴住居跡五軒、焼土が二カ所みつかっている。住居跡のかまどの方位は、東向き三例、南から南西側のもの二例である。かまどの火床は、第四号例を除いて住居内からその外にかけてある。また、第五号は焼失家屋で、床面近くからは屋根材を中心とした数多くの炭化材や茅が検出されている。これらの住居は、年代を限定できるような資料が出土した例は少ないが、第二号については床面直上から擦文後期の半完形の坏が一個体検出されており、この時期の所産である可能性が高い。