中期は、佐藤編年のⅢに相当し、各型の甕形土器と台の低い高坏、それに土師器質の轆轤水挽きで糸きりの坏、須恵器の内面が磨消された甕・長頸壼などが伴う。甕形土器は、前半期は、大・中型の例にも横走連続沈線文に加えて鋸歯状、交叉等の沈線文が一般的にみとめられるようになり、一方後半期になると口縁部の外反に内屈が出現し、口縁外側の隆起帯に短刻線が刻まれるのが一般的である。文様は、細かな横走連続沈線文がまだ残り、前期(後半)のものに加えて針葉樹状文が発達する。なお、道南や東北地方北部で比較的多く出土する文様帯の下縁に貼付文が横還する例はこの段階が初源で、後期までこのモチーフは残る。坏は、前半期は胴部に横走する沈線文を二、三本巡らす例、三本の横走沈線文間に複数条の沈線からなる振幅がひろい鋸歯状文を施す例が主体を占めてくるが、後半期になると胴部の横走沈線文が増え、鋸歯状文も振幅が狭いものが多くなる。市内では、K四四六遺跡発掘区、第六号竪穴住居跡、K四六〇遺跡第Ⅰ文化層、第四、七、九、一一号竪穴住居跡、K四四一遺跡北三三条地点出土例などに類例がある。