擦文後期以降の土器群は、札幌市内を含めて道央部では出土量は減少し、分布の中心は道東北に移るといわれてきた。しかし、最近札幌市内ではK四四一遺跡北三四条地点、K三六遺跡第二号竪穴住居跡、M三五三遺跡竪穴住居跡覆土出土例など、この時期の資料がかなり増えてきている。佐藤編年のⅣの前半グループで、甕形土器では横走沈線文が消失し、針葉樹状文が変形していく段階と複段文様を形成する段階がある。それらは、鋸歯状文、交叉文、変形針葉樹状文、羽状文の組み合わせからなる。また、高坏も発達し、甕形土器の文様に類似した、横走沈線文がなく、複条の振幅の狭い鋸歯状文からなる文様がつけられる。一般的には、須恵器、土師器は共伴しない。