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オホーツク文化

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 擦文文化と一部併行するかたちで、五~六世紀から一一~一二世紀頃にかけて道東北のオホーツク海沿岸・樺太・千島方面に「オホーツク文化」と呼ばれる独特な文化が分布していた。この文化は、大陸系文物の存在、頭骸骨の形質的特徴からなる容貌の特異性、銛先から浮かびあがる海獣猟、鯨猟などから土着のものとは異質な文化伝統を持つものと認識されている。
 オホーツク式土器に関しては、伊東信雄による樺太の編年によれば、各型式の主な文様の特徴は、鈴谷式は縄線文、十和田式は円形刺突文、江ノ浦B式・江ノ浦A式は口唇部直下の隆起帯と刻文・爪形文、南貝塚式・東多来加式(ひがしたらいかしき)は沈線文と型押文である。なお、道東部では江ノ浦B・A式以降独自の変化をするが、その後半には「ソーメン文」と呼ばれる細い波状の貼付文がつく土器が主流をしめ、最終的には擦文式土器との折衷・融合型式(トビニタイ式)になる。
 石器は・銛先鏃をふくむ石鏃・両面加工の石槍ないしナイフ・石斧・石錘・砥石および敲石(たたきいし)などからなり、縄文・続縄文期に比べて器種量は減るが、石器群総量はこの時期としては非常に多い。骨角器・骨角製品としては、銛、鏃、釣針、掘り具、バックル、針入れ、垂飾等があるが、とくに抉入離頭銛(えぐりいりりとうもり)の発達が著しい。金属器としては、ナイフ形の鉄器が少ないながらみつかっている。住居については、十和田式以降は床面積八〇平方メートル程の大型の竪穴住居跡で、平面形は五角形ないし六角形を呈し、中心軸線上に三~四本の主柱穴があり、中央にはコの字状の貼床が発達する。また、住居内に「骨塚」があることも特徴である。