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目次
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第四編 イシカリの改革とサッポロ
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第九章 村の形成と幕末のサッポロ
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第二節 シノロ村
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三 中嶋村
中嶋村の状況
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農業については、兼松が水稲作を行ったことが伝えられている。すなわち文久元年(一八六一)にはじめて水田三反歩を開き、反収玄米一石六斗、計四石八斗を収穫、翌二年には四反歩、さらに同三年には五反歩とした。そして慶応三年には反収玄米二石四斗、計一二石を収穫したが、翌明治元年には洪水によって田畑共凶作となった([自安政四年至明治十一年]本庁管下各郡水田段別及収穫調)。早太郎にくらべると、より長期間耕作したことになる。もちろん畑作も行われおり、一時的には
荒井村
をしのいでいたと記しているものもある。