本道はもと種油がなく魚油を主に使用していた。そのため道産の菜種及び荏胡麻(えごま)の製品化を図る目的で、東一丁目通にあった回漕庫内で搾油を始めた。その後十一年三月改めて北六条に搾油場を設け機械器具を備え付けた。九月には本場を増築して職夫宿舎を施設している。十二年六月
作業費出納条例により、四三三四円を営業資本として、野生の胡桃二石二斗五升を搾り八升を得た。味はすこぶる良かったが、外人はこれを亜麻仁油と同一視して食用に適さないとした。
十三年胡桃油を東京試薬場に送って試験をうけた。その報告は次のようである。
此油ノ比重摂氏十度ニ於テ〇・九三ニシテ其性無毒ナリ。但適度ニ用レハ固ヨリ有効無害ナレトモ、量ヲ過セハ却テ下痢ヲ発ス。蓋シ之ヲ魚肉漬ニ用ルハ実際困難ナルヘシ。何トナレハ此油ハ強ク乾燥性ヲ有シ、空気ト接スレハ乾燥シテ固塊形ト成ルヘシ。
七月当場建家及び器械等総てを代価一七八三円九七銭、三年賦上納で堀基に払い下げている。