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財務

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 区会の重要な権限として、区の歳入出予算を定めることがある。その財務は一般会計と特別会計に分かれるが、後者には札幌病院特別会計(明治三十三年一月二十八日、札幌区規則第三号公立札幌病院特別会計規則による)のほか、基本財産会計(三十九年以降)、学校基本財産会計(三十九年以降)、慈善資金会計(四十四年以降)、教育特別基金会計(大正十年以降)が設けられた。
 一般会計の主要な財源は、区の住民が納める税金である。「三箇月以上区内ニ住居ヲ構ヘ、若クハ滞在スル者ハ、其ノ住居ヲ構ヘタル初、若クハ滞在ノ初ニ遡リ、区税ヲ納ムル義務アルモノトス」(区制第八三条)と規定された。区税には二種あり、附加税(直接の国税に附加して均一の税率を賦課する)と特別税(区に限り別の税目を設け賦課する)と呼び、前者は三十三年一月二十八日、札幌区規則第六号附加税徴収規則により、国税地方税である地租、所得税、営業税にあわせて区税を徴収した。後者は三十三年三月三十日、札幌区条例第一号特別税条例により、耕地割、宅地割、戸別割を徴収した。
 両税ともその後の改正が激しく、たとえば三十四年度に特別税中に建物割、営業割が新設され、三十五年度に特別税の戸別割が廃止となって附加税に戸別割が新設され、特別税に貸座敷業割が加えられて前年設けた営業割がなくなるというありさまだった。特に大きな変動をみたのは日露戦争に伴う軍需支弁のために国税が大増徴され、それを可能にするため附加税が規制され、区税の比率を低下させた。また第一次世界大戦後の物価騰貴と税率増高は、区の財務を急増させた。区税のほか、火葬場墓地等の使用料、証明屠殺等の手数料、学校授業料公園収入等の雑収入、それに国庫地方費の下渡金、補助金、交付金が合わさって一般会計の総額となる。年によりこれに寄附金、不動産売却代等を含むことがある。
 一般会計の歳入規模(決算)は、税制がほぼ整う三十四年度で一二万二九九八円である。これを区制移行直前の三十一年度九万二四七二円にくらべると三四パーセントの増であるが、その中で占める三十一年度の区費賦課額は三万一六九円であったのに、三十四年度の区税額は八万一五〇八円と、一七〇パーセントもの大幅増となっているのが注目される。日露戦争後すなわち四十年度から歳入規模は増加し、二〇~三〇万円台で推移した。さらに第一次大戦後は急激な膨張となり、大正九年には一〇〇万円をこえ、翌十年は一六〇万円弱に達した。この一般会計に、特別会計を加えた札幌区の歳入決算総額の変遷をあわせて示すと図3となる。同図の下部はその中に占める区税の額である。

図-3 札幌区の歳入決算額の変遷(札幌市史 政治行政篇より作成)

 歳出総額の変遷は歳入とほぼ同様である。一般会計の歳出は経常部と臨時部に分かれるが、それを合わせた三十四年度の決算は一一万三二三七円である。使途費目に分けて区制移行直前の三十一年度と対比すると、教育関係費三九・二パーセント(三十一年度二六・九パーセント)、土木関係費一九・〇パーセント(一三・八パーセント)、区役所費一八・四パーセント(区制前は道庁経費によった)の順となる。三十一年度は病院費が特別会計になっていなかったので、衛生費を含めて四〇・五パーセントを占めていた。このように区制期前半の事業費は、教育と土木で四五~五〇パーセントを占め、区役所職員の給料や庁舎費が一五パーセント前後であった。区制期後半になると教育費の比率は低下するが、土木費は新規事業のからみで一定していない。一方で汚物掃除、火防、公設市場、公園等の経費が増加する傾向を示した。
 区有財産は、区制発足時に現金有価証券で三万八五二四円余、土地一三町五反余と八万一六七一坪、建物一一カ所(学校、病院、葬儀所他)であったが、区から市へ移行する時点の現金有価証券は一〇万二三一六円余、土地は宅地畑地墓地山林原野池沼をあわせて九八五七町五反余と一九万三三七六坪、建物五五カ所に増加した。