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苗穂新道の札幌区編入

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 札幌区では明治四十年より札幌村の編入を計画し、調査を行っていた。当初大字苗穂村字苗穂新道(及び大字札幌村字元村の一部)、札幌村字新川添の二地区が編入の予定であったが、前者が四十三年に編入となり、後者は昭和九年に編入された。
 明治四十二年の調査では戸数二一八戸中農業は六八戸、残りは商工、雑業であり、札幌と連絡する道路沿いは市街の体裁をなしていたという。札幌村長宮崎健三郎が区域変更を認めた四十二年三月三日の「答申書」では、編入地域の状況につき以下のように記されている(境界変更ニ関スル書類)。
住民ハ概ネ商業其他ノ庶業ニ従事シ人情風俗経済状態等全然区住民ト異ナルトコロナリ。他ノ農村部落トハ万事常ニ氷炭相容レサルモノアリ。之ヲ同一条件ノ下ニ統轄セラルヽヲ以テ村治上下共ニ不便不利ヲ感シツヽアリ。此際之ラ其状態相等シキ札幌区ニ編入シ本村ハ他ノ純然タル農家ヲ以テ形成スルコト行政上尤モ当ヲ得タルモノナルヲ信ス。

 これによれば、都市住民と農民が混在すると「村治上下共ニ不便不利」であり、純農村の形成のために区域変更を是認しているのである。この結果、面積一八〇町、本籍者二三九戸、一一九五人、寄留者七三戸、二九七人が札幌区に編入となった。