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札幌区所在銀行の営業

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 表20は、札幌区所在銀行の営業状態をまとめたものである。まず銀行数は、明治三十五年六行となっているが、これは北海道拓殖銀行、札幌貯蓄銀行国民貯蓄銀行北海銀行(以上が本店)、北海道商業銀行支店、日本銀行出張所である(北海道庁統計書 明35)。その後三十九年八月に日銀札幌出張所が廃止され、小樽出張所が小樽支店に昇格した。さらに四十年に泰北銀行が設立され、四十二年に中立銀行札幌支店が設置された。四十三年には札幌銀行が営業を再開し、十二銀行札幌支店が設置された(北海道金融機関沿革史)。大正二年四月には、欠損に悩む北海銀行本店が第一銀行に譲渡され、第一銀行支店となった(北タイ 大2・4・1)。
表-20 札幌区所在銀行の営業 (単位;千円)
 明35年373839404142434445大2年345
銀行数65555568888101010
預金残高1,9712,1252,4103,3703,0543,2674,9845,1586,7006,6278,72411,11110,29613,463
貸付金残高3,4003,8974,5294,9246,4848,38810,30812,14013,82816,43118,76320,65220,54720,633
送金手形振出9,6579,62312,8269,28613,68213,1659,8449,55010,99510,81112,82514,29911,86920,385
受込8,1377,7389,9745,8817,7406,9966,3367,0636,9927,29011,26312,73215,07421,318
荷為替貸出756190485376208182286237148163202166182760
取立16239202258303338443536143170200165180731
割引手形当所4,6655,3607,7947,03112,3168,2924,1422,9956,4827,5287,6568,94910,50411,177
他所619621955339538106,5157,0357,5508,84810,38911,089
代金取立当所5494286149041,1781,3341,0451,1218102,0031,3363,5324,3241,657
他所2621082194208317304613961,7761,0831,9211,5062,4381,504
 
 大6年7891.明治43年より貸付金残高に割引手形含む。44年より荷為替手形も貸付金に含む。44年より割引手形の上段は当期貸付高,下段は当期受入高。44年より代金取立手形の上段は取組,下段は取立。大正5年より送金為替の上段は各地へ向ケタル分,下段は各地ヨリ受ケタル分。荷為替手形の上段は各地へ向ケタル分,下段は各地ヨリ受ケタル分。代金取立手形は上段が当所,下段が他所。6年より貸付金は証書貸付,手形貸付,当座貸付,荷為替手形,割引手形。
2.『北海道庁統計書』(各年)より作成。
銀行数10101010
預金残高15,80021,95521,42024,629
貸付金残高22,97130,11453,60238,775
荷為替貸付
償還
2,3273,8934,7091,543
2,3043,8384,714 
割引手形貸付
償還
19,36745,05463,66059,341
17,46841,97552,546 
各地へ
向ケタ
ル分
送金為替46,45573,56187,69788,820
代金割引手形5,79516,37823,56126,281
取立荷為替手形2,3273,6474,6541,571
各地ヨ
リ受ケ
タル分
送金為替18,10662,16876,73777,958
代金割引手形1,1453,2827,5476,965
取立荷為替手形3,3005,7399,9238,034
受託代金取立    当所2,9241336,6692,725
他所1,2181332,9962,231

 営業の内容はどうであろうか。まず、預金残高はこの期間に約一二・五倍、貸付金残高は一一・四倍化した。第一節で述べた工業・商業の発展と比べると、伸び率はむしろ小さいといえるだろう。明治四十一年から大正二年までの六年間を不況期、大正三年から八年までの六年間を大戦ブーム期とすると、預金の伸びは不況期が二・七倍、ブーム期が一・九倍で、貸付の伸びは不況期が二・二倍、ブーム期が二・六倍とほとんど差がみられない。しかも大戦ブーム期の貸付の伸びといっても、大正七年になってようやく増加をみせ、しかも翌八年の急増は戦後恐慌によりすぐに縮小してしまう。札幌区所在銀行の営業指標に、日露戦後不況期と大戦好況期が顕著にあらわれないことが特徴であろう。なお、預金残高と貸付金残高のバランスをみると、一貫して貸付が預金を上回っている。これは拓銀本店の数値がかなり大きな比重をしめているからで、拓銀は元来預金吸収を主要な業務としていなかった。しかし、拓銀の商業金融が活発化するにつれて預金も増加し、その結果大戦期には表の預金と貸付の差は縮小している。
 次に手形業務についてみておこう。大正五年下半期から銀行の勘定項目が改正され、手形の集計方法が大幅に変更されている。それゆえ、この期間の比較が困難なものもある。明治三十五年から大正九年までの伸びは、荷為替貸付八・五倍、送金手形振出六・七倍である。伸び率としては預金、貸付に及ばない。ところが、日露戦後不況期六カ年と大戦ブーム期六カ年に分けてみると、荷為替は不況期に一・一倍、ブーム期に二八・四倍化を遂げた。割引手形貸付は不況期に〇・九倍、ブーム期に七・一倍化した。送金手形振出は不況期に〇・九七倍、ブーム期に六・一倍化した。このように、預金・貸付金残高が不況期からブーム期にかけて一定のテンポで伸びたのに対して、手形業務は不況期には沈滞し、大戦ブーム期に一気に急増したのである。
 この傾向は、拓銀が明治四十四年から手形割引を開始し、大正五年に割引手形の担保上の制限を撤廃し、短期貸付の制限を緩和したことと整合的である。また不況期の札幌区所在銀行の安定した発展も、拓銀の不動産抵当金融の伸びが下支えしていたとみることができる。